赤平市立旭丘小学校

昭和25年1月1日開校   昭和45年3月31日閉校


平成18年11月訪問



旧版地形図赤平市付近を眺めていると
中心部から北の山間部に学校の記号を見つけた
こんなに何もないような所に
かつて学校が本当にあったのだろうかと疑問に思いながら
現地を訪問してみた

市街地から農地へ向かい
家屋も見られなくなった辺りで舗装道路も終る位置
そこに建てられていた看板
なんと住友石炭鉱業が発破作業を行っているという危険な地域だった
しかしどうやらそのあたりが学校跡地と思われる









そこを進んでいくと全く人の気配が無く
ここにかつて人家が点在していたとは考えられない
本当にこの地に集落があったのだろうか









進んで行くと何かの建物が見えてきた
どうやら作業現場の詰め所のようだ









振り返って見る
地図によるとその建物の辺りが学校のあった位置らしい


赤平市史によると
この大谷沢に戦前炭鉱があったがすぐに閉山
戦後開拓者がこの地に入植
昭和26年までには38戸が入植し人口181人になったそうである
そこで赤平市立百戸小学校大谷沢分校を開設し
その後旭丘小学校として独立したとのこと









なんにせよ駐車はご遠慮したほうがよさそうだ









全く私は甘いな と感じさせる出来事があり
平成23年の秋に再訪した
お世話になっているリンク先の「北海道旅情報」の井手口樣により
跡地にそれを示す木柱があると知る

有る以上は当然確認せねばならぬ とこの未舗装の道を進む
途中 前回気が付かなかった何かの構造物を発見
玉石を積んだ外壁の一部のようである
炭鉱施設の遺構だろうか









「地図によると その建物の辺りが学校のあった位置らしい」
などと報告していたが これはそのすぐ先の風景
前回もこの先までずっと進んではいるのだが
何を見ていたのだろうか









草生す小さく開けた場所 左手に何か見えている









此処だったのか









赤平市教育委員会により
私の訪問5年前にしっかりと建てられていたようだ

しっかりとした大きな木碑である 本当に何を見ていたのか

それにしてもこの廃校年月日 私はこの年度末を閉校の日としているのだが
さらなる調査が必要である









確かにその空間には小さな学校があったのだろうと
思わせる雰囲気が十分にあった









後ろの山側に上り学校跡地を見下ろした
もう少し じっくりと調査しないといけないな
と今更であるが 反省しながら眺めていた




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