住友赤平高等鉱業学校

昭和33年4月7日開校   昭和50年3月31日閉校


平成22年11月訪問



住友赤平小学校から歩道橋を渡った正面
写真では右手の木々の奥









訪問時「赤平フットパス」なるものの看板がその小学校の前に建てられていた









それは住友赤平高等鉱業学校の跡地とその説明板で
当時の写真も掲げられている









学校位置もしっかりと判るように掲示されていた









案内板の通りに歩道橋から









眺めると自動車学校の教習場
の廃墟である









正面 教習所に侵入して行く道が
かつての通学路だろうか









進んで行くと完全に廃道と化した









コースの入口に付いてしまった









校舎はこちらではなく入ってきた突き当りにあったと思われるが
この教習コースは校庭の跡にでも作られたのだろうか









JR根室本線から教習コースと
校舎があった位置を眺めてみた
今はただひっそりとしている場所になっている

住友赤平鉱により開校されたこの学校
従業員の感心も高く当初募集定員30名に対し94名の応募があった
その後昭和37年には生徒の募集範囲を広め
住友鉱従業員子弟以外の入学を許可し
定員も1学年40名とした

昭和42年には80名まで増やし 技能教育施設校として認定されたが
その後の炭鉱の合理化により 炭鉱の将来性に大きな不安を抱かせる結果となり
入学者が激減し昭和47年には15名まで減ってしまう

昭和48年度から経営合理化の一環として生徒募集を中止し
昭和50年をもって閉校することを決定した





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