赤井川村立都中学校常盤分校

昭和22年4月1日開校   昭和61年3月31日閉校


平成23年5月訪問



昭和22年4月1日
都中学校常盤分校として 常盤小学校に併置開校する
開校時生徒数4名

昭和26年4月1日
都中学校から独立し常盤中学校となる

昭和31年11月1日
独立校舎を赤井川村字落合297番地に新築し移転する

その学校跡地は国道393号線沿い
小樽市から毛無山を越え下っていくと
赤井川村常盤の地区
いくつかの離農したサイロが目に付く
先に昭和53年3月閉校となった落合小学校常盤分校跡地から
3キロほど進んで行くとこの風景

一軒の酪農施設と道路を挟んだ正面には数件の住宅
その住宅はかつての教員住宅である









閉校後の平成5年までこの風景に校舎が建っていた
残念ながらそれはすっかり解体され そこはただの広い空き地となっている









旧教員住宅裏手に広がる校庭跡
見渡すも特に何も見当たらない

以下赤井川村史より
終戦後常盤地区は開拓地として脚光を浴び
多くの人が開墾のため入植した
逐次入植者は増え昭和24年には36戸となり
生徒数は急増した

常盤地区は長く電化されておらず テレビの視聴は適わなかった
電気が通じたのが昭和41年電話が同46年であった

このように交通不便であり文化に隔絶された高度僻地であっただけに
独立校舎の建築は地域住民の団結と協力によってなされた
常盤中学校の独立はそれだけに大きな喜びであった

しかし昭和55年4月 生徒数1名となり
都中学校の常盤分校となる
そして昭和61年3月都中学校へ統合のため閉校した
閉校時生徒数3名









奥には何かの残骸が見えるが ぬかるむ地面にこれ以上近寄らなかった

平成5年9月
旧常盤中学校を偲ぶ会が開催される
昭和31年にこの地に新築された校舎
昭和61年閉校時のままであったがとうとう解体の話が出たため
卒業生や関係者120名が集まり
「最後の授業」と名づけた式次第の中で
かつて教鞭をとった先生の思い出話し等がされたのであった

数戸の教員住宅を残してその後解体された





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