阿寒町立下徹別小学校

大正14年9月1日開校   平成5年3月31日閉校


平成23年9月訪問



国道240号線沿い 跡地入口には「タンチョウの家」の看板が
後で調べると コミュニティセンターだったようだが
この時は公共の施設かどうか判らなかった









校門を抜けすぐの左手に鎮座していた大きな石碑
民間か公共の施設なのか判らなかったため
遠慮しながらの撮影









阿寒町立下徹別小学校跡地
「学舎の碑」









校章を刻んだものが しっかりと取り付けられている
しかしこう見ると なんとなく簡単に取れてしましそうである
が 試してはいけない









「丹頂と共に六十七年」
下徹別小学校閉校事業協賛会により
小学校閉校への思いが綴られ刻まれている









タイムカプセル
2003年に集い「思い出のたまて箱」を開き
楽しく語り合いましょう

開封の時は過ぎているが この石がかなり重そうなので
「たまて箱」は真下に埋められていたのだろか と考えていた









辺りを遠慮しながら見渡すと 左手の木々の間に何かが見えている









木の裏手に回ると
「開校五十周年記念碑」
こちらもかなりずっしりとした大きな石碑である









昭和50年9月1日建立のもの
思い出してみたが 私が通った小学校に同様のものはあったのだろうか
卒業時点で開校六十六周年だったと思うが









校舎のあった位置を遠慮しながら確認すると
小さな木造の校舎は解体されていたが
体育館らしき建物が見えている









小さな古びたバックネットと体育館が残されたようだ
しかし体育館はコミュニティセンターと繋がってはいない









裏側から確認すると窓の感じが古い体育館の雰囲気を残している
近寄って もっとじっくり見てみたかったが
裏側に農家と思われる住宅が敷地に繋がるように建っている
すぐ横には大きな倉庫も
そして体育館はそちらの農家の方が利用している様子だった





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