阿寒町立雄別小学校
大正12年3月?日開校 昭和45年6月?日閉校
平成21年10月訪問
「雄別炭砿記念碑」
昭和45年に閉山した雄別炭砿の入り口に
閉山10周年を記念して この碑は建立されている
その先に道道のゲートが
この風景がかつての炭砿の入り口と思われ
道路に併走して雄別炭礦鉄道がこの先の雄別炭山駅へと続き
2千5百もの炭住が建ち並ぶ一大集落があったのである
そのほとんどが解体撤去されているが
今でも様々な遺構を発見することが出来る
その一つ 雄別炭山駅跡に残るホーム
駅跡のすぐ先にはこのような大きな廃墟
雄別購買の建物だったようだ
道道側から
様々な建物があったかつての街を歩いてみた
建物はほとんど撤去されているが
所々このようなものが残されている
ちなみに現在は無人の地
熊出没地帯であるため 探索には十分注意されたし
浴場の跡だろう
煉瓦アーチが美しい橋
坑木運搬トロッコの土台だとの事
色々あったがこれが一番圧巻だったかもしれない
病院跡である
何故この建物が残されたのだろうか
やはり大きく頑丈すぎて解体を免れたのだろうか
未舗装のままの道道667号線
消えた集落の間を抜けながら学校跡地へと向かう
大きな一本の煙突が見えてきた
総合煙突だという 本当に大きな煙突である
そこを通り越すと
左手に石積みの擁壁が見えてくる
この上に雄別小学校の大きな校舎があったのだ
その地へ入ると巨大な建物の基礎が一面に広がっていた
今まで見た廃校の中で一番大きな規模の基礎である
塚石が並ぶ風景
おそらくは体育館建物があった場所
幾本もの煙突が崩れながら並んでいる
トイレの便槽や
とにかく大きな基礎群
校舎前の校庭跡に残るタイヤの並ぶ風景
校庭跡
広々としていたはずではあるが
一部に土盛りされ 木々も育ち風景を遮っている
放置されたタイヤからは
その年月を物語る光景が
何か墓碑のように煙突が佇んでいる
奥に校長宅があり そこへと続く小径であった風景
その突き当たりには
建物へと続く階段だけが残されていた
小径の途中で
子ども達が遊んだであろう野球のボールが草に埋もれていた
大正12年の開校時は私立雄別尋常小学校
昭和8年3月に公立に移管され
阿寒公立雄別尋常高等小学校
同22年4月より学制改革により 雄別小学校と変更となる
昭和45年6月
雄別炭鉱閉山により閉校となる