朝日町立上似小学校

昭和8年10月1日開校   昭和41年12月1日閉校


平成19年6月訪問



昭和8年上士別村上似移民地として道より指定を受け
同年3月根釧原野より転住移民28戸入植
と朝日町史にはある

ここは士別から上士別そして朝日町と距離にして35キロ
朝日町の集落からでも20キロはあるのではないか
現在は岩尾内ダムを越えてからこの風景が広がる
ダム建設による全戸移住で全く建物はない風景だ









上の写真からさらに奥へと進み
当時は行き止りだった場所に「経営林道上似峡線」なるものがある









道道61号線から分岐した林道の風景
まさかこの奥に小学校
そして住居があったとはとても思えない景色だ

ここから約1キロ少々 そこにその跡地はある









ご覧になって解るだろうが
かつてこの辺りに本当に人が住んでいたのだろうか









そして学校跡地付近に来ると
左へ入り込むこのような道が現れる


とりあえず進んでみた









なんと校舎の一部がしっかりと建っているではないか

校庭跡に育つ幼木を見ると
閉校すぐではなく ここ最近植樹されたものではないだろうか

ここは営林署関係の休憩所にでも使用されていたのか









辺りにはこのように
校舎の一部だったと思われる基礎などが確認できる









少し離れた場所には煙突?のようなものも残る
教員住宅の跡だろうか









入り口が撤去されているが
そこから繋がる廊下と思われる部分が残っていた

ブロック造りだけあってしっかりと建物は現存していたが
木造ではこうは行かなかったのではないか









ここが廊下だったと思われる
右に少し見えているのが教室だったのだろう
今は床もなく完全に草が生えてしまっている









周りに育つ木々が邪魔をして校舎の側面を撮影出来ない
少し見えてはいると思うが 窓も残り
横から見ると学校らしさがわかるだろう


朝日町史によると

岩尾内ダムの周辺残存補償として上似峡住民の退去が決まった10月末
翌月の15日頃には一軒も残らなくなった
その頃はすでに奥地のこととて毎日吹雪が荒れ狂い
朝日町まで20キロ 旧似峡の市街地までの8キロは
犬の子一匹通らない全くの陸の孤島となってしまった
しかし同町の条例で12月1日閉校のその日が来るまで
校長ともう1人の先生は学校と運命を共にすることで残っておらねばならず
訪ねる人もいない同部落内の最後を見守る人として残っていたわけで
その間の心細さは想像に余りあったものと思われる 以下省略

この話を読んでこの地を訪れると
本当に想像に余りあった





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