朝日町立似峡小学校

大正4年5月15日開校   昭和42年3月31日閉校


平成19年6月撮影



朝日町奥士別似峡の集落に開校した似峡小学校
岩尾内ダム建設により水没地域に入るため昭和42年3月閉校となる
似峡中学校も独立校舎としてあった事を考えると
それなりに大きな集落だったのだろう

現在はその集落共々この水の下に沈んでいる









湖に向かうこの道 旧道と思われるが
ここを進んでいくと この道沿いに小学校が建っていた
今はわずか数b先で湖へ沈んでいる









その道の入り口に立つ看板にもはっきりと
「この先は、水没した似峡市街の跡地であり・・・」とある

秋の水かさが減る時期になると学校跡地付近まで進んでいけるようだ
その時期にもう一度訪れてみよう









平成20年4月再訪すると
湖の水がほとんど消えている
そして上の写真の位置まで来ると
ご覧の様にかつての集落跡へと入り込めるではないか









水没しないかなどと考えながら 恐る恐る進入してみる
かつての似峡の中心地への未舗装の道路が続いている









辺りに幾つかの建物の基礎を確認しながら
進むこと300bほどだろうか
ここから先でダム湖へと水没していた
この道が朝日町へと続いていたのだ









途中にはこのような基礎や









こんな基礎が点在していた









玉石を積んだ側溝や
そこに立ち並んでいた木々の切り株が残っている









ここが集落の中心地のT字路交差点
右手が先ほどの朝日町へと続く道で
真っ直ぐ進むと茂志利小学校のあった集落へと続く道
こちらもこの先数百b先で水没している









この交差点付近に似峡小学校と似峡中学校の校舎があったのだが
少し離れた位置に遺跡のように見えているのは
学校の基礎だろうか









今度はその茂志利方から振り返って
どちらが小学校だったのかは分からなかったが
この正面辺りに学校があったようである









高台からかつての中心地辺りを望む
写真右端に先ほどのT字路が見えている
40年前までこの風景に建物が建ち並んでいたのだ

数日後には この風景全てが再び水没するのだろう





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