芦別市立新城小学校

明治39年3月?日開校   平成16年3月31日閉校

平成18年11月訪問



旭川と芦別を結ぶ道道4号線
ほぼその中間辺りにある新城の地域
道道沿いに小さな集落がある

その中心の唯一信号機のある交差点を
旭川側から行くと左手に折れる
すると右手にすぐ この建物が見えてくる









変わったデザインの門柱には 校名が掘られている









ここからは平成20年3月撮影のもの
2階建てではあるが 小さな建物である
閉校時の児童数は7名であったようで
それでも持て余していたかもしれない









校歌の歌詞には
「ああ新城の少年少女」との一部分があるが
その少年少女を表現した像なのか









残されていたその校舎 現在は「芦別市芸術文化交流館」
玄関上部には校章が付いたままである









裏手へ回ってみたが さすがにまだ残雪が多いようで
校庭跡まで行けなかった
体育館はそれなりの大きさで かつての児童数を物語るようだ









校舎横手の位置に設置されていた閉校の碑









芦別市立新城小学校
輝くほほ

黒地に黒で刻まれているので
非常に見づらいが そう刻まれている









その裏側には閉校時在校生の手形
7名分である









平成21年10月 前回雪に阻まれた校舎裏手を確認に再訪した









今回は芸術文化交流館も会館中で
校門の前の黄色のポールにはその看板が取り付けられていたのか
と確認した次第









「芸術の郷 しんじょう」
と言うことで個人の水墨画やパッチワーク
写真展他などが行われているようだ









雪がないと やはりすっきりと見える
裏手へ回ってみる









裏側には長い平屋の校舎が繋がっていた









体育館と校舎
良い風景に再訪して良かったと思う次第









奥を調べていると
こんなに素晴らしい校門まで見つけてしまう
もう一度ここを確認しに来なかったら
永遠に気が付かなかったかもしれない









煉瓦構造物が大好きな私にとって
この古びた味のある煉瓦積みの門柱は
本当にたまらないものがある









そこには大理石で造ったような学校名が填っているが
どことなくその部分だけが新しい雰囲気









裏手を確認すると
「昭和61年10月修復 新城小中学校同窓会」
やはり修復され 後から付け替えられたものだった









これが元々のプレートだろう









校舎の奥にあった広々とした校庭跡









隅に残されたバックネット
下部に木製の板が取り付けられた古びた雰囲気が
これまた良いのである





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