足寄町立茂足寄小学校阿寒硫黄鉱山分校

昭和30年12月1日開校   昭和43年3月31日閉校


平成21年10月訪問



雌阿寒岳と雄阿寒岳が美しい
そんな風景を横目に国道241号線を阿寒湖へと向かっていく









なだらかな坂が続く国道を進んで行くと
左手には幾本かの林道が現れる
隣の釧路市(旧阿寒町)の境界線付近にあるこの林道
足寄中心市街地から45キロ以上はあるだろう









39線沢林道
この日は運良くゲートが開いている
そうでなければ徒歩で行くしかない場所









林道をしばし進んでいく









そうしているとこの開けた空き地があり









そこからかつての阿寒硫黄鉱山へ進入する廃道と化した道









その路沿いには何軒もの建物が並んでいたのだが
現在は自然へ帰ってしまっている
阿寒硫黄鉱山分校は
恐らくこの左手の平らな小さな空間にあったと考える









この他に平らな空間が2つぐらいしか確認出来ないのだが
国土交通省の昭和52年の空中写真ではここだけ空き地になっていて
他の場所にはまだ建物が並んでいる
足寄町史に掲載された分校の写真建物の感じと
空中写真から確認出来る上から見た建物の雰囲気が
同様のものがない事から考えて
この地を訪れ検討した結果
この位置が一番適切だと考えた次第である









先へ進んで行くともう一つの平らな開けた空間
ここにもほとんど建物があった形跡がないが
左手奥に何か見えている









錆びた大きな鉄の塊のような









丸いこの物体は何であろう
鉱山の沈殿槽にでも使用されたものだろうか









上の空間から廃道を挟んだ正面
こちらにも空中写真では建物が建っていたのを確認出来るが
現在はそのような物など全く残されてはいない

ここには錆びた鉄のパイプや割れた磁器が散在している









磁器はお茶碗やお皿であった
生活があった証である









廃道の行き着いた先
鉱業所の施設があった山の斜面は
全て撤去され綺麗に整地されていた

そこには今でも木々が生えていないところを見ると
それがされてからそれほど時が経過していないのだろうか









林の中の頼りなさ気な道の先に
こんな開けた風景が広がっていたとは思いもしなかった

鉱山が現役の時代はその関係者だけが暮らしていたのだろうが
町からこんなにも離れた場所で暮らしていたとは
現在道路が整備され車が普及されていても
あまりに遠く感じる寂しい場所である

茂足寄小学校の分校として開校後
昭和33年には小学校に昇格する
しかし鉱山の操業中止により学童が減り
同41年4月1日から再び茂足寄小学校の分校となり
同43年3月31日在籍学童なしで廃校となった





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