平取町荷負小学校

明治33年4月?日開校   平成23年3月31日閉校


平成23年8月訪問



国道237号線 二風谷ダムから東
道々71号線を進むとすぐ左手にこの学校はある
敷地中央 道路側に残る校門
車が出入りしたような跡があるが
閉校時の通学路としては使用されていなかったと思われる









歴史ある学校だけに校門も古いものだと思われるが
裏側の確認を怠ったようだ









平成23年3月まで現役だっただけあり
校舎は新しく立派なものである

平取町は児童数24人以下を統合の基準としていたが
平成15年発行の平取町史に
昭和59年11月に学校統合合同委員会で確認された
「児童数が現在将来とも24人以下で推移し
教員数が5人以下の小規模校を対象とする」
という学校統合による基本方針によると
荷負小学校(児童数9人 平成9年)と
豊糠小・中学校(4人・3人 平成9年)は抵触する

平成4年11月の町の文書に
荷負小学校は昭和59年当時 将来24人以下にならないという想定で
統合対象校とはせず 校舎を建設したものであるが
現在児童数は12人であり 今後25人以上になることは期待薄と考えられる
したがって荷負小学校の存続については
統合基本方針の見直しも含めて検討する必要がある・・・

この立派な校舎が昭和59年築なのかわからないが
本来統合されるべき小学校が
20年近くも何らかの理由でそれを免れていたようだ
予測を誤って校舎を改築してしまったからだろうか









奥に並ぶ教員住宅 閉校まもないためか誰も住む気配はない









周りには住宅が立ち並んでいるが
遊具で遊ぶ子供たちはいない様子









この建物が本来の理由で使用されない事が寂しく感じるが
これだけしっかりした物なら近いうちに再利用されるのだろう









校舎前に建つ立派な記念碑は
閉校から7年前に建立された 「開校百周年記念碑」であった









木で作られたような校章は
先代の校舎からの引き継がれたものかと想像してしまった

平成23年3月閉校し
平取町立貫気別小学校へ統合された





back

inserted by FC2 system