平取町町立仁世鵜小中学校

大正6年?月?日開校   昭和47年3月31日閉校


平成23年10月未訪問



国道237号線仁世宇
国道から北へ入ると仁世宇川 この川沿い約8キロほど進んで行くと
かつての鉱山街の仁世宇の集落にあった小中学校跡があるのだろう

しかし現在この国道からの入り口に数件の建物があり
そこが仁世宇としての地名となっている









上の写真の道路を挟んだ対面で確認した建物
「仁世宇会館」とある
営業しているのかは分からなかったが商店も隣にある
やはり現在仁世宇と言えばこの辺りを示すのだろう









一旦先ほどの仁世宇川に架かる橋を渡り
川沿いに奥へ進むと すぐ未舗装に









そこに建てられていた標識には
「仁世宇林道起点」とある
先に何があるのか非常に楽しみになってきた









ところどころ崩壊した箇所を直した跡を確認しながら
頼りなさ気な川沿いの林道を進んで行く
昭和37発行の旧版地形図では建物が点在してあるようになっている
しかしそれらしき痕跡も見当たらない山間の風景が続いて行く
約4キロほど進んだころ
驚いた事に牧場の建物らしきものが見えてきて
「子供飛び出し注意」の看板まである
どう見てもお住まいの方がいるようだった
風景を撮影はしていないが 冬期間も除雪されているのか心配してしまうし
子供がいるのにも驚きであった

そこからさらに2キロほどだろうか
右手の少し高い位置に廃屋が
この林道を進んで先ほどの牧場以外に初めてみた建物
かつてはこの辺りにも何軒かの農家の建物があったのだろう









私の感覚では よくこのような奥地にまでと思わされるが
それは今の便利な生活が当たり前と考えているからなのだろう









そしてその廃屋の先で仁世宇川を渡り 数百メートルほど進んだ時だった
もう少しで目指す学校跡地はあるはずだと
曲がりくねる砂利道をゆっくり車を走らせていた
緩やかなカーブを曲がると 黒い塊が道路にある
すぐにそれが何か判ったが その瞬間林の中から親熊が・・・
ちょうど小熊が道路に出てきた所だったのだ

以前ならやり過ごしてでも先へと進んだのかもしれない
しかしその数日前には 熊に車が襲われた等の報道が続いていた
咄嗟に勢いよくバックしてターン 一目散に逃げたのであった
これがトラウマにだけはならないようにとリベンジを誓い
この写真を撮影し泣く泣く戻ったのであった

昭和47年3月閉校し
振内小学校・中学校にそれぞれ統合となった





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