千歳市立千歳鉱山小学校

昭和11年2月16日開校   昭和53年3月31日閉校


平成22年10月訪問



千歳市市街地から54キロの支笏湖西岸の山奥
美笛地区に金鉱が発見されたのは昭和8年
同10年から操業にかかり11年から本格的開発が始まった

そこで子弟の教育のため昭和11年2月16日に
烏柵舞尋常高等小学校千歳鉱山特別教授所を設置した

写真は千歳市最西部 支笏湖から美笛峠へ抜ける国道276号線
30数年前まではこの風景に千歳鉱山の施設や鉱員住宅が立ち並んでいた









千歳鉱山小学校のあった場所は国道からこの見舗装の道へ入り
約1キロ少々









かつて多くの人々が渡ったであろう古びた橋が入り口でお迎えしてくれている









「八千代橋」とある









昭和52年の空中写真を確認すると
橋を渡ったすぐに何棟もの住宅が立ち並んでいる
そこは現在綺麗に植林され林へと変わっている









橋を渡り左へと曲がりすぐに右手に道路はカーブしている
その辺りの風景
両脇にあったであろう建物達も全て消滅している









進んで行くと分岐点
左へ曲がると鉱山の選鉱場等があったと思われる
千歳鉱山小学校入り口はこの分岐の間
ここから左手丘の上に上がって行くとその跡地があるはずだ









鉱山の選鉱場施設への道は通行止めで侵入出来はしないようだ
しかし小学校の跡地はご覧の右手の丘の上









この深い藪を掻き分けて行けば 辿り着くだろうが
この入り口からして進入を拒んでいるようで
先数百メートルを単独で進む気持ちにならなかった

昭和10年10月 千歳鉱山尋常高等小学校として独立
同14年に青化精錬所が設置され以降増産され
従業員が激増
昭和15年には児童数が445名にまで増える
翌年の4月から千歳鉱山国民学校
昭和22年4月から千歳鉱山小学校となる

社会情勢の変化等で児童数も減少
道路交通事情もよくなり
千歳鉱山株式会社千歳鉱業所が昭和53年から職住分離の実施に踏み切り
従業員は市街地から通勤することとなった
このため児童生徒は全員市街地の学校へ転入することとなり
同年3月31日に閉校となった
以上千歳市史より抜粋

現在は学校跡地や住宅跡地は植林されその形跡を止めてはいないが
その地に必ず立ちたいものである





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