遠別町立正修小中学校

大正15年4月1日開校   昭和43年10月31日閉校


平成20年5月訪問



道道名寄遠別線 5校廃校の最終地

遠別町立大成小中学校の跡地を過ぎ
更に大自然の中を奥地へと進んで行く
行き交う車など 全く見当たらない
立派な舗装道路だけが ひたすら続く風景を走っていると
とても心細くなってくる









学校跡地と思われる辺りに到達するまでに
舗装道路の上に3度ほどこの物体を確認した
お食事中の方には申し訳ないが
熊さんのあれである
お食事をしながら このサイトを見ている人もいないと思うが









そうしているうちに やっと該当する場所を発見
道路脇に開けた平らな空間が









おそらくここだ と思われる場所であるが
それを訪ねる人など全くいないし
何か残っていないかとじっくり探す勇気が出なかった
何があっても誰も来てはくれない場所なので・・・

それにしても先人達はよくぞこのような地まで
開拓の鍬を降ろしたものだと思わされる
遠別町中心地から学校跡地まで35キロ
さらに奥地に住まう人はいたのだろう

町史にはこうある
史的価値ある事項としての記述に 児童並びに地域住民の栄養補給のため
校長先生の自費で山羊乳給食を開始した
校下には鶏卵すら不足し 児童の栄養低下が著しいため実施したもので
「呑んだとたんに手足がビリビリと温まった」
と子供らが喜んだとのことである

昭和43年9月正修小中学校は廃校打ち合わせが行われ
大成部落会館建設のため
正修小中学校校舎付属建物無償払い下げとなった

昭和38年4月 正修中学校が併置されたが
昭和43年10月31日 正修部落が解散し
小中学生全員が他校に転校となるため廃止されたのである
大正3年に開拓者が入り
昭和17年には部落民18戸を数えたが
最後まで残った戸数は僅か3戸
児童生徒数は4名であった





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