遠軽町立下社名渕小学校

大正9年4月1日開校   昭和59年3月31日閉校


平成19年11月訪問



遠軽町社名渕の集落から東側に位置する下社名渕
道路沿いの高台に学校跡地がある

写真はその正面から
いつの時代まで使用されていたのか判らない階段の先に
門柱のような木製の一対の柱と
上りきった位置に設置された閉校の碑

よく見ると不自然な位置にバス停らしきものが









下社名渕小学校と書かれたバス停だった
何故このように道路から離れた木陰にあるのだろうか









石段正面の上りきった位置にある閉校の碑









裏側には沿革が刻まれる









校舎建物が残っていたが
玄関入り口や窓には板が張られている









校舎へと続く正面階段もご覧のような状態
あと数年で確認が出来なくなりそうだ









「歓迎 遠軽自然の村」
という施設として利用されていたようだ
いつの時期に廃村になったのだろう

H様からメールを頂いた
この村は平成19年9月以降廃村
と言うことは私が訪問した2ヶ月前まで使用していたのか
板が張られているのはもしかしたら冬囲のためで
毎年オフシーズンには行っている事だったのかもしれない









素敵な木造校舎であるが
窓に張られた板がそれを半減させ残念である









並んで建っているのは旧体育館だろうか

これはやはり体育館で
手前の木造壁の部分を倉庫
奥の肌色壁の部分から体育館として利用していたそうである









こちらにも立派な入り口があったようだ
体育館にしては意匠を施された入り口ではないか

昭和22年から同36年3月まで下社名渕中学校が併置されていた
その中学校は同23年に教室を小学校の棟続きに新設
もしかするとこの建物がその中学校校舎部分かもしれない









校庭跡から辺りを眺めると
校舎と並んで旧教員住宅棟が見えた









こちらもまだ使用できそうだが
何かに使われているのだろうか

手前の建物を自然の村のシャワー室として利用したいたが
前年雪の重みにより屋根が壊れ使用出来なくなったため
セトセ温泉を利用するようになったとのこと

ちなみに校舎廊下で食事をしたいたそうだが
傾いていたため箸を横にすると転がったそうである
外観はしっかりしているように見えるが
やはり老朽化で傾き始めていたのだろう
H様貴重な情報ありがとうございました









校舎の前にはご覧のように大きな木が育ち
全体像を確認させない









校庭跡の風景
こちらも利用されている気配はない

昭和10年同11年の児童数99名が最高で
閉校時の昭和58年度には6名となっていた





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