恵庭町立盤尻小学校

明治41年8月10日開校   昭和40年3月31日閉校


平成22年10月訪問



道道117号 恵庭岳公園線
道路沿いにはダムやゴルフ場がある静かな山間の風景である
その盤尻の地区









木々で囲まれた広場がある
木々の方を向いて立てられているため撮影し辛い看板には
恵庭市市制施行30周年市民の森づくり事業
「梅の森」とある









その広場には確かに梅の若木が育っている









ぽつんと立っていた木柱に
恵庭市森林組合 寄贈(梅の木110本)
とある









そしてこの看板
旧盤尻小中学校跡地

・・・緑に囲まれた山間の美しい自然環境のもと
地域の人々の教育に寄せる期待と熱意に支えられ
教師・児童生徒・父母とのあたたかい交流により
生き生きとした交流活動が
展開された思い出の場所です

恵庭市史によると
明治の時代 造材事業を始めるに従い
盤尻地区の移住者漸増し明治39年大谷派説教所が設置された
地区住民の要望高まり
明治41年8月 恵庭尋常小学校盤尻分教場の創設となる
その後 当別電気(のちの北電)が漁川に発電所を建設
さらに王子製紙が漁川に恵庭発電所を昭和3年に完成させると
定住者が増加し児童数も漸増した
昭和5年には児童数84名 分教場を昇格し村立盤尻尋常小学校に
戦後盤尻小学校となり
高等科を廃止して昭和22年5月1日より恵庭中学校盤尻分校を併設した
その後機械化の波により両発電所も機械化され人員削減
国有林事業も転換され市街地に転出するものが続出した

教育委員会の方針として小規模校の学校統合が促進され
昭和39年3月に盤尻中学校を閉校し恵庭中学校へ
翌年40年3月に盤尻小学校を閉校し柏小学校へ統合した









梅の森に並んだ草生す空間
ここも小中学校の敷地だったのかは定かではない





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