羽幌町立太陽中学校

昭和22年5月1日開校   昭和46年5月31日閉校


平成17年5月撮影



羽幌町築別炭砿
かつては羽幌町の東側 内陸部に
羽幌本砿・上羽幌砿と合わせて三つの街があった
合わせた人口は最盛期でおおよそ1万2千人を超え
この築別炭砿には劇場や病院 商店街などがあり
そして羽幌炭砿鉄道の終点駅もあった

しかし炭砿の閉山と共に住民は消え
現在はわずかに解体を免れた幾つかの建築物が残るのみである


写真に写るは羽幌炭砿病院の建物
奥には閉山直前に完成したアパート群も見える









かつての築別炭砿駅跡から商店街や劇場のあった場所を眺める
巨大な煙突や幾つかのコンクリートの構造物が残っている









旧駅跡から線路跡に沿って選炭場があった方向(築別方)を眺める
先ほどの煙突も見えている









旧駅前に下りて築別方を望む
選炭場のホッパー 山の上にも何か残っている

ちなみにこの道路の両側に当時は商店が建ち並んでいた









そして本題の太陽中学校跡
先ほどの築別炭砿駅跡から選炭場を背にして撮影
この風景にも当時は様々な建物が建ち並んでいたが
現在は学校跡共々全く残ってはいない

中学校は当初太陽小学校に併置されていたが
昭和31年11月2日この地に完成の新校舎に移転し独立
しかし昭和45年11月の全山閉山により
昭和42年には391名いた生徒も皆無となり
翌年の5月に閉校となる





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