浜頓別町立山軽小学校

大正9年9月21日開校   昭和41年3月31日閉校


平成19年9月訪問



浜頓別の市街地から国道238号線を北上する
数キロ進むとクッチャロ湖側へ入り込む未舗装の道路がある
それがこの写真の道 実は旧国道である

この道は廃止になったJR天北線と交差していた
左手に見える古びた標識は踏切ありを示すもの
廃線跡は現在サイクリングロードに転用されているが
この辺りは熊が出没するため通行止めになっている時もある









サイクリングロードを渡り進んで行く
この風景が国道だったとは 現在の立派な道からは想像し難い









そして集落のあったこの交差点にたどり着く
右手奥には天北線山軽駅があった
そこは現在でも石積みのホームと
かつての待合所がサイクリングロードの休憩室?としても使用されているようだ

左手側に数百b進むとクッチャロ湖

ここに大正の時代 鉄道が開通後木材の搬出駅として集落が形成される

しかし木材資源の枯渇により住民が減り始め
大正9年に開校した学校も昭和14年頃一旦廃校となる









しかし戦後の農業開拓者の入植により再度学校開校となり
児童数20名で昭和24年12月2日開校式を挙行した

昭和25年の校下の世帯数は27戸 人口140人であった

それも離農による人口減で昭和39年には9戸まで減少し
その多くは国鉄の鉄道員であった

小学校も昭和41年3月31日を以て廃校となる

正面に立つ立入禁止の看板の奥
笹藪と化した空間が学校の跡地である
何か遺構がないものかと見まわしてみたが
この時期は何かを発見することが容易ではなかった









その反対方向が山軽駅跡へと向かう道
これが駅前通りである
往時はこの道沿いに何件もの建物が建ち並んでいたのだろう









サイクリングロードに転用された廃線跡に残る山軽駅
石積みの古めかしいホームが時代を物語る
昭和62年の天北線廃止時点では無人駅
ホーム上の朽ちた建物が当時の待合いと思われる

ここからの写真は平成17年5月の撮影









駅名標は判読に苦しむ状態で残されていた









ホームの裏手には
有人駅時代の駅舎の基礎がしっかりと残っていた
これがここに集落が存在していた証なのかもしれない





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