日高町立三島小学校

昭和22年9月?日開校   昭和49年3月31日閉校


平成23年10月訪問



国道274号線 日高町中心市街地から東へ8キロほどの千栄の集落
その千栄小学校跡地の道を南へ入り 奥へと進んでいく
3年ほど前に千栄小学校跡を訪問した時
そこから更に奥に廃校があった事を調べきれずにいた
帰宅後数日経って気がついたが 再訪に3年もかかってしまう

わくわくしながら三島の集落へと進んで行く
目指す地は千栄小学校跡地から約5キロ
進んで行くと舗装道路もご覧のように狭くなって行く

よく見ると写真左手にはかつてサイロだったと思われる構造物が









廃サイロを横目に暫し進み
人がいるのか判らない2軒ほどの建物を通り越して行くと
右手に石碑を確認









そこが三島小学校跡地だった
その跡地はすっかり自然に帰り それがあったような空間だけが残されている
石碑の他には右手に見える朽ちた何かの塊









校門だったものに見える









その表面は校門だった面影を残しているが
近づくとブロックを積んだものだった
こうやって門柱を作ったのか









石碑の方は
千栄小学校・中学校跡地にあったものと同様な記念碑









プレートには

三島小学校跡
大正七年 福島県伊達郡下の北海道移住団十五戸(福島団体)が入植
その後の太平洋戦争時三井鉱業がこの地でクロームの採鉱を行う
福島と三井の二文字を取って「三島」と呼称す
これら子弟教育の場として 昭和22年9月千栄小学校三島分校を設置したが
翌年7月この地に移転
昭和24年4月 三島小学校として独立(当時の児童数二十七人)
児童数の減少により昭和49年3月をもって千栄小学校に統合二十六年余の歴史を閉ず

と書かれていた









学校跡地から千栄の方角を眺める
遠くに先ほどの2軒の建物が見えている
この風景を見ても 集落があった気配を感じる事は出来ないだろう

創立十周年記念式が行われた昭和34年頃の児童数36名がピーク
昭和42年からは一桁まで落ち込んでしまう
三島部落からも統合を要望する声が出たが まとまらずにいた
昭和48年9月の町議会で翌年の3月をもって閉校し
千栄小学校への統合が決まったのである

なお昭和48年11月にPTAが中心になり
閉校式を見越して桜 カエデ ナナカマドを植えて囲んだ「三島小学校跡」に
閉校式の録音テープ 学校の歴史などを入れたタイムカプセルが
関係者の見守るなかで埋められた
と日高町史にはある
訪問時はそのようなものがあったであろう場所さえも見つけることは出来なかった





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