穂別町立茂別小学校

昭和26年1月20日開校   昭和45年3月31日閉校


平成20年5月訪問



旧穂別町穂別から穂別川沿いに道道74号線を北上する
現在この辺りは農業地帯

しかし穂別町にはかつて幾つもの炭鉱があり
この付近にも北炭穂別鉱業所があったようだ
右手に住宅が一軒見えているが
最盛時2百人以上もの児童数だった茂別小学校はそこにあった

しかしながら昭和40年の穂別炭鉱の閉山により人口激減
離農者も相次ぎ 昭和44年の児童数は15名となる









その学校のあった敷地の入り口から少し覗いてみた
現在個人経営の農場となっており
何か痕跡があるのか と進入して調査出来る状況にはない









校舎はこの辺りに建っていたのだろうか
などと道路沿いから何となく探していると
木陰に何やら看板が









説明板らしきものと 傍らには小さな石碑も建立されている









茂別小学校

昭和25年4月1日 穂別村立石油沢小学校として認可
しかし現実には校舎はなく書類上の仮校舎で
児童は穂別小学校へ通学していた・・・
などと開校時の説明が書かれている









横の跡地の碑は開町70年町制施行20年記念の
昭和57年に建立されたようだ

これらは道路沿いにある事はあるのだが
車で普通に通過するとほとんど気が付く事が無いと思われる
特に夏場などは完全に草の中









学校跡地を越すとすぐ右手の山の中に
かつて炭鉱住宅が建ち並ぶ地区があったようだが
現在は自然に帰ってしまっているようだ

しかしその先に架かる橋の名前は
「炭住橋」
農村地帯となってしまった現在では
ここに炭鉱があったその唯一の証かもしれない





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