幌加内町立蕗之台小学校

昭和24年?月?日開校   昭和37年3月31日閉校


平成19年5月未訪問



「戦後緊急開拓計画によって開拓団地として開発され
昭和21年に日鋼開拓団28戸が入植し
開拓費予算で昭和23年に小学校は建設された
部落全員の大変な労力によってである
子供の将来と部落の将来の繁栄のため心を合わせて

しかしその開拓団も昭和37年7月11日に解団し全戸離農となり
それと運命をともにした蕗之台小学校は
その3月15日に閉校式をあげ
10余年にわたる恵まれない開拓地の子供達の
心のより所であった灯は消えてしまった」


幌加内町史より抜粋


この時の訪問は5月19日 
この時点でまだ積雪による通行止めであった
学校跡地はこれより数キロ先 開通時に再訪問しなければならない









平成21年6月
再びこの地に訪れる事が出来た
母子里の集落から道道688号線へ入ると
「蕗の台12q」と標識が









進んでいくと道路沿いに唯一見受けられる建物がぽつんと残っている









今回ゲートはしっかり開いていて一安心









はやる気持ちを抑えながら白樺林の中を進んでいく









途中 これも現在は無人の地となっている
かつて国鉄の駅もあった白樺という集落
道道から左手に50年近く前に無人駅となり
平成2年に廃止された白樺駅跡へと続く道が









私の所持している旧版地形図では
この駅前通の両側に何軒かの建物があることになっている
ここに立って暫し過去の風景を想像していた









突き当たりに駅跡がある
一段下がった位置に線路やホームがあったようだ
今はその敷地の空間と
そこへと続くコンクリートの階段が朽ち果て笹藪に埋まるのみであった









再び蕗之台へ向かう
いよいよ集落の入り口
カーブした先がその集落跡で
左手朱鞠内方へ分岐した道路の先に国鉄の蕗之台駅があった

ちなみにこの道道はこの先何キロかで行き止まりとなっているようだ









とりあえず駅跡を確認しに行ってみる
立派に舗装された道道688号線から道道528号線へ入ると
このような林道に変わる
しかも現在土砂崩れのためこの先通行止めのようだ









すぐ先 道道からさらに分岐して蕗之台駅跡へと続く
これがいわゆる駅前道路
ここも旧版地形図では有人駅時代 道路両側に建物が建ち並んでいる









蕗之台の駅舎があった位置である
現在は完全に自然に戻ってしまい
構造物など全く見当たらない









学校があった集落の跡へ戻ってみる
ここから2つの方向へ道路が繋がる予定のようだが
現在は通行止め
それにしても道路だけが立派な風景に違和感を覚える
辺りは全くの大自然
40年前まで人の暮らしがあったとは想像も出来ない









上の写真の位置から数百b進んで左手の開けた空間に
蕗之台小学校があったようだ
現在は熊笹の草原となっているがご覧のように一部刈り取られたのか
真っ直ぐに歩きやすくなっている









かつては奥に学校へと繋がる道があったようだが
全くその入り口自体が判然としない
そして正面辺りに学校はあったと思われるが
無人の地であるため
熊の恐怖もありこの熊笹を掻き分けて入念な調査をする気になれなかったのである


以下お世話になっているHさんから情報を頂いた

昭和4年頃から造材関係者が多く入植していた
鉄道開通後はその他に鉄道関係者
日本通運蕗之台営業所所員など12〜3戸があった

戦後平和産業に転じた日鋼室蘭工場が多数の工員を解雇し
その中の希望者で組まれた日鋼開拓団昭和21年7月に入植した

昭和25年には蕗之台第一地区(駅前)97人
第二地区(開拓団)167人
合計264人を数えた人口も
昭和37年7月開拓団の解散により(こ の年小中学校も廃校となる)
人口は激減し第二地区は無人となり
昭和47年7月には第一地区も住む人もいなくなり無人地帯になった





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