今金町立日進小学校

明治45年6月?日開校   昭和62年3月31日閉校


平成22年5月訪問



明治42年檜山支所で未開地区画売払処分
翌年荒井寿吉氏が率先入植し 次いで36戸が入植
44年には道庁が殖民区画を設定 4千町歩を割渡したことで団体入植が増した
ここは美林が生え豊潤な土地であったが
交通不便のため当初はなかなか開拓も進まなかった
しかし追々と入植者も増えてくると集落の有志によって子弟の教育が協議され
粗末な28坪の建物を建て
役場職員が「池の岱教育所」と命名開校したのが明治45年であった
かくて入植も年々増加の一途を辿る盛況ぶりで
大正5年には池の岱尋常小学校
翌6年には校舎を新築した
開拓戸数も180余戸となり児童数も大正14年には190人を超えていた

今金町最南部
周りに建物が少なくなった どことなく寂しげな風景にこの日進小学校跡はある
一軒の住宅 教員住宅にしては少々大きめかもしれない
その向こうには校舎の一部が残っているようだ









現在この跡地を利用していると思われる方の住宅横に
使われているか判らないビニールハウスの骨組み
よく見るとそれに隠れるように校門があるではないか









半分ほど残された校舎
古い木造の教室部分は解体され
昭和34年築の体育館と同43年に増築された特別教室部分が残された
校舎があった側には玄関が作られている
おそらく地域の会館となっているのだろう









それにしても素敵な風景である
現在使用されているかの確認は出来ていない
近づいてゆっくりと拝見したかったのであるが
先ほどの住宅が入り口にあるので遠慮してしまった









木製のバックネットがその味わいを更に深めているようだ

昭和22年5月12日に開校併置された日進中学校は
同48年3月に閉校し今金中学校に統合されている

日進小学校は昭和53年3月31日
昭和53年度の新入生がゼロのため休校し
昭和62年3月31日を以って閉校となる
明治45年の開校以来594人の卒業生を送り出した歴史に幕を閉じた
今金町史より





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