北桧山町立日中戸小中学校

明治31年5月20日開校   昭和39年3月31日閉校


平成22年5月未訪問



道道740号線
日本海側 旧北桧山町と旧大成町を結ぶこの険しい場所に
現在トンネルを通過させ立派な道路として建設中
北桧山町立新成小学校のあった鵜泊の漁港を過ぎ
建物が無くなった辺りの風景

昭和38年の集中豪雨で壊滅したという
日中戸(にっちゅうべ)の集落を目指す









その消えた集落は鵜泊の地区からは5kmほどだろうか
現在は舗装道路が続いているようだが
かつては非常に険しい道だったに違いない









日本海の荒波をあびる覆道が何箇所かで確認できる









その一つ「長浜覆道」

なんと!
ご覧の看板を見つけて愕然とした
200m先 行止まりとは!









200m先の風景

ここからおそらく4kmはあるだろう
通行止めの未開通区間を車を降りて
徒歩で行くなんて事は当然考えもしない









しっかりとしたゲートが行く手を完全に阻んでいる









遠く日中戸の集落の今はどうなっているのだろうか

平成15年発行の北桧山町史を確認するとこうある
この地域は明治2年 熊石の相沼から漁場・魚田開発の為永住者があり
しばらくの間水産税免税地域のため
出稼ぎ・入嫁や越年永住者が増加し集落を形成してきたと言われる

日中戸は陸の孤島でかつての北桧山駅から20`
字新成までバス それから学校までは非常に難儀しての陸路
海浜の徒歩 あるいは海路を船で渡ったのである
その不便さは言葉では言い尽くせない

日中戸小中学校は昭和38年9月16日の集中豪雨で全壊
授業が出来なくなり 児童生徒は翌日から北桧山町中央公民館に寝泊りし
(児童生徒はヘリコプターで救出されたとある)
東瀬棚小学校・東瀬棚中学校へそれぞれ通学した
地域も荒廃する災害に見舞われ 居住不可能となり
翌39年3月30日
北桧山町立日中戸小中学校の卒業式とあわせて廃校式も行われたのである

その災害により集落は消え無人地帯になっているようである
今でも何かの痕跡を止めているのであろうか
道道740号線の開通を待ち望むしかない





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