栗山町立円山小学校

明治42年6月28日開校   昭和56年3月31日閉校


平成19年11月訪問



明治の時代 この地に入地した人々の子弟の教育は
隣村の由仁東三川教育所で行われていた
しかし冬の豪雪と夕張川の激流に悩まされ 通学は並大抵の事ではなかった
入植者も増加し部落住民が教育所設置を願い認可され開校するに至る
栗山町史より

北海道の歴史では同様の事柄が多く
かつての小さな集落では 5キロから遠くは10キロもの距離を
当時の子供達は通学したのである

そして部落住民の願いが叶い
その協力の下 大変な苦労で開校した学校達

しかし昭和の40年あたりからの
モータリゼーションやエネルギー革命
過疎化の波に押され その歴史ある多くの学校達が消えていったのである

この円山小学校も過疎化により
884名の卒業生を送り出すも昭和56年閉校となる
跡地には今「円山地域文化センター」なるものが建つ









奥を覗くと美しい煉瓦の門柱が移設されていた
そして写真に写る木造の建物を良く見ると 旧校舎ではないだろうか
外壁は改修されているがその形や窓の位置からそれとわかる

丁度その門柱が移設された部分に
今は解体されたが玄関があった
栗山町史でこの校舎の写真を見ると
増築を2回行い その3つが繋がった様子がわかる









煉瓦造はいつ見ても美しい
奥には何かの石碑も建立されているようだ









片側の門柱には ご覧のように旧円山小学校と跡地の碑のようになっている
門柱煉瓦が綺麗な所を見ても
移設ではなく新しく造られた物だろうか









そして裏側には閉校年月日が取り付けられている
一方の門柱には併置されていた円山中学校の銘板が付き
裏側の日付は「昭和43年10月1日閉校」となっていた

これ自体が閉校の碑なのだ









そして奥にあった石碑は
現役時代に立てられていたもの
だったと思われるが 裏側に刻まれた文言を失念している





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