倶知安町立瑞穂小学校

明治31年4月3日開校   昭和59年3月31日閉校


平成21年5月訪問



校舎が消えた広い敷地への訪問者を迎えるように 残る校門
この正面に 校庭幅いっぱいに建つ 大きな校舎があったようだ









門柱の学校名をいつものように確認
「瑞穂小学校」と しっかりと残っていた









こちらは国道393号線側に残されていたもう一つの校門
後ろには 広々とした空間が残されているだけである









こちらの門柱は 「瑞穂小中学校」 となっている
中学校は昭和22年5月から同54年3月までの併置
と小学校より一足先に閉校となってしまった

門柱の高さと学校名の位置が低い事から
なんとなく半分ほど埋められたような印象









広々とした敷地に残るバックネット
かつて校舎を守り続けていたそれは
現在何らかの役目を果たしているのだろうか









敷地の隅に建立されていた石碑達

「我が瑞穂」
「豊穣の礎」は開拓記念碑だったと思う









「我が瑞穂」の前に建つ閉校記念碑
瑞穂小中学校の沿革となっている









「我が瑞穂」の裏側を確認すると
堅忍 誠実 明快
小学校80年 中学校30年 開校記念協賛会

新設東陵中学校に統合され閉校となった瑞穂中学校の
その僅か半年ほど前に建立された
開校記念碑であった









並んで二宮像
台座は重厚なものである
取り付けられているのは「以徳報徳」









その傍らには
学校を見守っていたであろう大きな木がそびえていた

瑞穂小学校校歌
空にそびえる えぞが富士
不昜の姿 けだかさよ
めざせ雲居の その高嶺
我等の心 おお堅忍

昭和59年3月
町内小学校統合のため閉校となる





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