倶知安町立八幡小学校

明治29年9月11日開校   昭和59年3月31日閉校


平成21年5月訪問



大正8年11月寄付により
煉瓦づくりの正門が完成と倶知安町史にはある
大正・昭和・平成と
この地を眺めて来たその校門の前に立つ
正面に見えていたはずの大きな校舎の方は
25年の時の経過の中で消えていた









校庭隅に並んでいた石碑達









その一つ
「學校教育 發祥之地 八幡」と刻まれている
下の小さな石版には小学校の沿革が
明治29年の開校時は「倶知安尋常小学校」









並ぶ石碑
「倶知安町は此処から創る」

さらに隣の小さな石碑には
「役場設置 小学校創立 巡査駐在所等創建
行政教育保安等の中心地であった」
のような事が刻まれている









石碑達の後ろに建つ二宮像
風化して判読に苦しんだが
「以徳報徳」だろう

この台座何となく新しい感じではあるが
町史では昭和30年の15号台風で二宮像倒壊 再建
となっている









二宮像台座裏側に錆び付く鉄板

昭和二十一年九月十一日
創立満五十周年記念
寄贈八幡國民學校後援會









跡地を眺めるも 広い敷地が残されただけである
倶知安町を此処から創り 学校教育発祥の地としては
何だか寂しいものではないか









もう一つ 町道側に残る校門
後ろの建物は学校関係のものと思われる









小中学校となっているが
昭和22年から同54年まで八幡中学校が併置されていた

八幡小学校校歌
雲によべよ 高く山に
山はえぞふじ そのふもと
たり穂輝く 八幡八幡 いざにおえ
大地とはえあり 我がさと

昭和59年3月
新設の東小学校に統合のため閉校となる





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