京極町立東花小学校

明治43年4月?日開校   昭和51年3月31日閉校


平成21年5月未訪問



国道230号線から旧版地形図だけを頼りに学校跡地へ進もうとする
車が多く行き交うその国道からすぐ
この小さな山へ登って行くかのような道
地図からでは入り口はここしかないと 半信半疑でとりあえず進むことを決める
ここは喜茂別町と京極町との境付近









急な坂道を上って行く
が本当にこの先集落へと繋がるのだろうか
と少々不安になる









道は非常に頼りなく しかも狭い
この道を現在も利用する人などいるのだろうか
と不安になりながら 途中振り返ると かなり高い位置まで来ている
戻るにも大変である









写真の風景をかなり進んで とりあえず平坦な場所へとは出てみたものの
風景はさほど変わらず
地図上ではここから国道276号線へと抜けるには
来た道のさらに3倍ほどの距離があったため
不安になり仕方なく断念し どうにか来た道を戻るのであった

帰宅後グーグルアースで調べてみた
なんと
私が戻ったそのすぐ先から舗装道路となり
学校跡地と思われる場所には
校舎らしき建物まで残されているではないか

廃校跡地を調査するときは入念な下調べが必要なのは当然なことではある
しかし欲張って一度の調査で100校もまわると
当然力量をオーバーするのであった

早い時期に再訪したく
うずうずそわそわ しているのであった









平成22年10月 今度は安心して未舗装の道を進んで行く
学校跡地付近まで来た 住宅等の建物は確認出来ない









学校跡地の前 数本立つ木々はかつての防風林だろうか









そこにあった電信柱を何気なく確認すると しっかり「東花」の名前が









学校跡を通り過ぎた位置で確認したサイロの基礎
かなりの斜面に立っている









もう一度学校跡地へ
正面が進入して来た道 左手に分岐する道の方に入り口があったのだろうか









左へ分岐した道を奥まで進んでみたが
農地と 現役なのか分からないような酪農施設があるだけで
住宅は無いようだ









いいだけ勿体ぶったが 結局東花小学校跡地には
小さな空間が残っていただけで
数年前まであったであろう小さな何かの建物は残念ながらなくなっていた

明治40年 富山県人の一団が東花・錦方面に入植
また石川県人も東花方面へ入植し
同41年には戸数130 児童数43を数える
そのため部落総会で話し合った結果
明治43年3月 第一小学校所属東カシプニ特別教授所が開校した
大正12年には東化尋常小学校として独立
昭和16年地名改正で東花となる
昭和51年3月 児童数激減のため閉校となった





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