京極町立脇方小中学校

明治44年4月1日開校   昭和45年10月31日閉校


平成21年5月訪問



京極町の市街地から道道784号線を奥へと進む
日鐵鉱業倶知安鉱山が操業していたその地
奥には京極町一般廃棄物最終処分場の真新しい建物が

その地までは途中農地を横目に車を走らせるが
建物もなくなり 山間部を抜ける風景へと変わる
昭和61年11月に廃止された 国鉄胆振線の京極駅から7.5q
此処へと続く脇方支線が 昭和45年11月1日に廃止されていた









最終処分場はかつての脇方駅跡地に建設された
平成12年に周辺を整地した際
大量のレールと枕木が出土したそうだ

脇方鉱山の集落へ続いていた橋
「鉄見橋」
此処からかつて脇方の駅やSLを眺めていたのであろう









その廃線跡に残る橋脚
近づきたかったが 薮を漕ぐ気になれなかった









先ほどの処分場を越え集落跡へ
旧版地形図によると 両側に建物が建ち並んでいたようだ
郵便局の記号もある

この風景からでは過去を全く想像出来ないのである
先へと進んで見たが 林の中を進むだけで何も残されてはいない









戻って少し高い位置にある学校跡地へと入る









その跡地には広い空間が
正面には一段高くなった部分が









おそらくは校舎があったであろう位置に
続く階段が埋もれている









反対側の敷地隅には何やら記念碑が
良く見ると何と左手には校門があるではないか









記念碑にはしっかりと「脇方小中学校跡」と刻まれている
右手には木製の回旋塔の支柱も残る









傍らの校門は両方とも残されていた
しかし先ほどの処分場横から続いていたであろう学校への入り口は
削り取られ 現在校門正面側からの進入は不可能である









朽ちたその門柱を確認すると
はまっていたであろう校名は外れている

明治41年の福島・宮城・山形各県より移住者相次ぎ開校
開校時は東倶知安第一尋常小学校付属奥ワッカタサップ特別教授所
その後鉄山開発により戸数も激増し
大正6年6月に東倶知安第四尋常小学校として独立
その後脇方小学校となり
昭和22年6月には脇方中学校も開校となる

昭和45年 校下の日鐵鉱業倶知安鉱山の休山
同社北海道鉱業所が札幌移転し
明治・大正の時代入植した農家も離農
全くの無人の地となった





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