共和町立老古美小学校

明治24年5月11日開校   昭和59年3月31日閉校


平成21年5月訪問



跡地を訪問して この正面の道路が校庭跡を貫いて造成されたと考え
辺りを色々と調査する

帰宅後判った事だが
右手の奥に少し見えている倉庫のような建物
大きな倉庫だと思いこんでいたが
実は老古美小学校の体育館だったのだ
全く・・・









校庭跡を切り取り造成した道路脇に
共和町内の廃校跡地に置かれたものと同様な記念碑を見つる









校舎が残されていない現在では
ここに刻まれた校章だけが それを確認出来る唯一のものではないか









そこには小学校校庭によくあるタイヤの並ぶ風景が
何処にどうやって校舎があったのかと考えていたが
先ほどの体育館に繋がる
造成された道に貫かれた正面にあったのだろう









振り返って
右手向こうに見えている古い建物
おそらくは旧教員住宅だと考える









教員住宅と思われる建物と並んであるのは
「老古美会館」
学校跡地には地域の会館が高い確立で置かれている

昭和59年3月 西老古美小学校と統合し
西陵小学校が開校となる









平成23年5月
残されていた体育館建物を確認するために
2年ぶりに訪れた
記念碑も その後ろに無造作に置かれていた古タイヤも健在である









前回この位置から撮影しておけば良かったのである
記念碑そして校庭跡を真っ直ぐ貫き正面にあった木造校舎を解体し
右手の体育館建物が残る
どう見ても体育館建物なのだが 前回は何故大きな倉庫と思ったのだろうか









貫かれた道路を進んで振り返る
体育館を挟んで新しい建物があるが
普通の民家である
その方が体育館を利用しているのかもしれない









前回この道路を進んでみればすぐに分かっただろう
体育館に繋がる校舎の位置にこの道を造ったのだろうと





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