丸瀬布町立大平小中学校

昭和30年4月1日開校   昭和44年3月31日閉校


平成22年8月訪問



道道1070号線を丸瀬布中心から南下し
「丸瀬布いこいの森」を越え 上武利の集落から西側へ入り込む
マウレ山荘が奥に見えている
この道をずっとずっと奥へ上へと進んでいく









曲がりくねる道が上へと続いている
そんな所に集落があり
本当に小学校があったのだろうか
と思いながら約4キロほど









そして頂上へ
とても広々とした風景が広がっていた
農地らしき風景ではあるが
現在も通いで農業をしている方がいるようだ

向こうに何か建物が









この建物は何なのだろうか
一段下の駐車場のような所には農業機械が何台も置かれている
農業会館のようである

それにしても360度見渡しても
この建物と稼働中の数台のトラクターを確認するだけである









駐車場に降りてみた
写真を撮影した背後に 機械が何台も並んで置かれている
これにもその一部が写っている
建物を確認したが 特に名前が付いていないようだ
いずれにしてもこの地域で農業を営む方達が利用しているに違いない

建物の横には何かの石碑が見えている









「大平開拓記念碑」









脇にある碑文を確認すると

この地に開拓の鍬が下ろされたのは昭和23年
戦後の緊急開拓政策は当時武利八百町歩と呼ばれていたこの高台の地を
入植地として設定し
昭和28年 時の北海道開発局農業部長 大谷信太郎
村長 堀重平 両氏の名の一字を戴き地区名を大平とした

昭和31年にかけ延べ42戸が入植
しかしこの地は人々を容易に受け入れず
厳しい自然に耐え開拓の汗を流し
子等の教育に意を注ぎ家族を支える辛い日々を強いた
高度経済成長時代に入る昭和37年頃より離農が相次ぎ
昭和46年11月をもって無住地区となる・・・以下略

平成11年10月 在丸瀬布町大平入植者一同

その後に入植された方々の名前と歴代校長
歴代教員の名前が刻まれている









開拓記念碑にも校長と教員の名が刻まれていたので
ここが学校に関係ある場所に違いないだろう

建物へ続く階段の上り口にある小さな石柱は何だろうか
と考えながら近付くと









「大平小中学校跡」
ここに学校があったのだ
このような高台を開拓し生活した人々の苦労は想像に余りあるが
現在も農地として利用されているのは幸ではないだろうか





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