丸瀬布町立上丸小学校

大正13年2月1日開校   昭和40年3月31日閉校


平成19年11月訪問



丸瀬布の中心地から
道道306号線を上丸の地区へと向かうこと約6キロ
集落の入り口に見えてくるこの酪農の施設と
丸瀬布小学校南丸分校跡地に建つ会館と同じ建物が









その入り口の笹藪に目をやると
崩れかけた門柱らしきものと その傍らに石碑があった









近づいて見ると「上丸瀬布教授場・小学校跡」と刻まれている
何故その2つの校名を刻んだのだろうか
閉校時の校名であった「上丸小学校跡」ではだめなのだろうか

さらに下部には開閉校年が刻まれているのだが
閉校年が「昭和35年3月31日」となっており
丸瀬布町史や町のホームページの昭和40年閉校とも食い違っている









南丸分校跡地にあるものには会館名はなかったが
こちらには「上丸会館」と掲げられていた









その会館に並びトラクターが格納されている建物を見ると
これはかつての校舎の一部ではないだろうか
40年以上も前に閉校となった校舎がその一部でも残されていたとは
感動である









昔の木造校舎の雰囲気が残っている
奥に玄関らしきものも見えているが
会館から離れ酪農施設の敷地に進入しそうなので
遠望するに止めておいた

平成6年発行の丸瀬布町史に写真は掲載されていないが
校舎見取り図が記載されている
それで確認するとどうやら残されているのは
屋内体操場とその奥が校長住宅で
見えているのはその住宅玄関のようだ

ちなみに校長宅は昭和14年築
昭和33年 校舎に併設されていた校長宅を移設し
その間に屋内体操場を兼ねたこの僻地集会室を建築したとのことである









ご覧のように酪農施設の敷地内の中心辺りに
旧校舎の建物が残され
その奥に先ほどの会館が建てられている

児童数は昭和5年の50名が最高で
昭和39年度には児童数10名を数える程度になり
一時は廊下を仕切ってまで授業をするなど
事実上3学級だったものが単級複式へと戻る事が避けられなくなったため
父兄は学力への影響を心配し丸瀬布小学校への統合を陳情した

そして昭和40年3月31日をもって
41年の歴史を閉じたのである





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