紋別市立弘道小学校

大正8年11月21日開校   昭和62年3月31日閉校


平成19年11月訪問



廃止になったJR名寄本線弘道駅付近から内陸に入ること約2キロ
市道の交差する位置にこの風景が見える
校門を通して眺めた風景
小さな校舎が残っていた









背の低い門柱には校名が付いているが
一部が欠けている









青い空と小さな木造校舎
良い風景ではないか









別位置の入り口から









そこから入ると弘道公民館の建物が
現役時代からあった建物 元教員住宅だったのだろうか









その正面の校庭跡に残されている遊具達
草原に眠っている









校舎は今でも何かに使われているのだろうか
管理されているようだった


住友鴻之舞鉱山経営の水銀鉱の発展に伴い児童が急増して
昭和18年39人から同20年には106人とまでなる
そのため教室の増室するが
完成前に水銀鉱の事業中止で一部未完に終わり
同22年部落民の奉仕で完工をみた

昭和23年5月
八十士方面から山火があり鉱業所施設や校舎も類焼の厄にあった
その後の昭和24年に校舎が再建される

この建物ではとても100人以上の児童は入り切れないだろう
昭和24年の再建時には水銀鉱は事業を行っていなかったようで
児童数も減少していたのだろう
屋内体育館もなかったようだ









玄関には校章と弘道小学校との看板が付いたままだ









校舎建物の前に建立された「学舎の里」









敷地隅にある古びた小さな建物は
こちらも旧教員住宅なのだろうか





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