紋別市立三吉小学校

昭和33年2月10日開校   昭和37年10月30日閉校


平成21年5月訪問



コムケ湖の辺り国道238号線から市道を西
地図上では秋平とある方向へと進み約2キロほどだろうか
分岐したこの未舗装道路へと入って行く
ウェブ上で三吉小学校を探すとこの跡地にも紋別市が建てた記念碑があり
その後ろ側には小さな沼のようなものがあるとのこと

昭和52年の空中写真で確認すると
確かに小さな沼のようなものが確認出来る









未舗装道路へ進入して1キロほどだろうか
ご覧のような人工物など確認出来ない風景を進むと
左手に石碑が見えてきた









そこから振り返って
ここに人が暮らす集落が本当にあったのだろうか

紋別市史によると
住友所有の土地を農林省が買い上げて
15戸の開拓団を入植させたのは昭和27年

地質や傾斜地ということもあり開墾が進まず
しかも冷害の追い打ちで耐えられぬ者は離農していった
沼の上小学校から6〜8キロも離れた遠隔地のうえ
通学路には熊が出没するのも離農の一因であった

部落民からの学校設置の要望は強く
昭和33年2月 60坪の校舎に14人の児童を迎えて開校した
「熊の出る開拓地の開校」とその喜びが報道された

しかし厳しい自然条件のため離農が相次ぎ
昭和37年には児童1名となったため
同年10月16日の閉校式を最後に
僅か5年に満たない校歴を閉じた









その石碑には正しく
「紋別市立三吉小学校跡」
学舎の里









裏側には開校と閉校の日が刻まれているが
わずか4年と8ヶ月
私の知りうる限りでは最短の校史ではないだろうか
いったいこの学舎を巣立った児童は何人いたのだろう









石碑の後ろにある沼のような水たまり
これは何なのだろうか

記念碑の周りを探すも学校があったと思われる場所がない
辺りに平坦な地が見当たらないので
ここに校舎や校庭があったのかもしれない

閉校後何かに利用するため造成したものか









先ほどの道を記念碑から少し奥へと進むと
幼木の間に朽ちたサイロのようなものが残されていた
これが確かに生活があった唯一の証ではないだろうか

この訪問時もK・Tさまご同行によるもの
いつもの事ながら感謝いたします





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