二宮金次郎像達





二宮金次郎像

各地の小学校などに多く建てられた薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は
明治14年発行の『報徳記』で現れる
確認されている最初のこの姿の像は
明治43年に岡崎雪聲が東京彫工会に出品したものである

学校教育や地方自治における国家の指導に「金次郎」が利用された経緯には
尊徳の実践した自助的な農政をモデルとすることで
自主的に国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした統合政策の展開があった
小学校の校庭などに見られる「金次郎像」は
これらの政策によって展開された社会環境を前提として
国家の政策論理に同調することで営業活動を行った
石材業者や石工らによって広まったとされる

小学校に建てられた「金次郎像」でもっとも古いものは
大正13年愛知県前芝村立前芝高等尋常小学校(現豊橋市立 前芝小学校)に建てられたものである
その後昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって
各地の小学校に像が多く建てられた
その時 大きさが1mとされ 子供たちに1mの長さを実感させるのに一役買ったといわれることがあるが
実際に当時に製作された像はきっかり1mではないことが多い
これは 昭和15年ごろに量産された特定の像に関する逸話が一人歩きしたものと考えられる
この像が戦後GHQの指令により廃棄されたといわれることがあるが
二宮尊徳が占領下の昭和21年に日本銀行券(1円券)の肖像画に採用されていることからも分かるとおり
像の減少と連合軍総司令部は特に関係は無い
戦前の像は銅製のものが多く これらの多くが第二次世界大戦中の金属供出によって無くなったため
混同されたものと考えられる

石像のものはその後の時代も残った
また残った台座の上に新たに銅像やコンクリート像などがつくられることもあった
像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できない事と
児童が像の真似をすると交通安全上問題が あることから
昭和40年代以降 校舎の立替時などに徐々に撤去され 像の数は減少傾向にある
以上ウイキペデイアより引用


ちなみに金次郎がいつも見つめている本には
しっかりと儒教の経典 礼記の大学編 伝九章の一文が刻まれているのである

「一家仁 一國興仁 一家譲 一國興譲 一人貧戻 一國作乱 其機如此」

それでは以下の入口からお入り頂き
道内の廃校跡地に残された金次郎像達をご覧頂きたい
現時点で公開しているのは
120 の二宮金次郎像(台座のみ含む)である



其之壱 其之弐 其之参




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