留辺蘂町立伊頓武華小学校

昭和21年5月?日開校   昭和39年3月31日閉校


平成20年6月訪問



石北峠
8合目辺りだろうか
北側へと入り込むご覧の道があるのだが
旧版地形図によるとこれが昭和39年まで
イトムカ鉱業所の採鉱現場関係の
鉱員住宅50戸や配給所診療所共同浴場
そして伊頓武華小学校のあった元山地区への入り口

何度も通る道であるが
こんな峠の頂上近く奥地に集落があった事など全く知らなかった









しかし現在その道はすぐ
新たに造られた砂防ダムによって行き止まりとなる









ダムの手前にある看板
危険があぶないといった感じか









石北峠を更に上り9合目付近
武華岳林道という道が国道から同じように北側奥へと続いている









そこを進んでいくと
右手に立入禁止の何か施設の入り口がある









見下ろすと沈殿槽があった
これはかつての鉱業所の抗口から
現在でも排出される有毒な水を中和する沈殿池とのこと

この斜面奥地に集落があったのか
と諦めてここを後にしたのだが

後日調べて判った事だが
実は林道をさらに奥へ進んで行くと
学校があった集落跡地まで行けたようである
しかもこの時 私はその辺りまで進入し
何もないと思い心細くなってここまで戻ってきたのである









平成21年5月
小雨降る霧の煙る中先へと進んでみた

この辺りから先がかつての集落跡









道路の脇を見ると
何かのコンクリート残骸や基礎









さらにご覧の玉石を積んだ擁壁
このような人工物が木々の間に確認出来る









そして小学校の跡地と思われる平らな敷地
他の留辺蘂町の学校跡地に建つ石碑を探すも
心細さと相まってじっくり探せず 見つける事が出来なかった
この地を訪れるのは登山者ぐらいで
記念碑はおそらく建立されていないのではないだろうか

昭和21年5月
恵泉国民学校付属元山分教場として開校し
同23年に伊頓武華小学校に昇格
当初校員集会所2階を利用した仮校舎であったが
昭和30年校舎を新築する
この地域は鉱業所事務所等がある大町地区の恵泉小学校から約10キロ

前述の鉱員住宅施設等があったが
同鉱業所は昭和39年合理化により採鉱関係従業員を全て大町に移転させ
この地までバス通勤を行わせた
そしてこの元山にあった施設ほとんどを撤去し
伊頓武華小学校は自然廃校となった
開校以来18年の校歴に終止符を打ったのである





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