留辺蘂町立金華小学校

大正7年4月?日開校   昭和52年3月31日閉校


平成20年6月訪問



JR金華駅前の国道に立ち 北側を眺めた風景
左手には「常紋トンネル殉難者追悼碑入口」がある
その階段の奥に見える未舗装の道路を上がってみる









上がると開けた空間があり
向こう側が先ほどの階段を昇った場所である
ここが金華小学校の跡地
奥に何かの塔のようなものが見えている









その塔が先ほどの「常紋トンネル殉難者追悼碑」だった
これは石北本線の金華駅から遠軽側にある
常紋トンネルの悲しい歴史を追悼した碑であるようだ









その碑に向かい合うように建っている学校跡地の碑
学校閉校後すぐに校舎は解体され
整地されたこの高台に追悼の碑を建てたのだろう

金華小学校に通学していたという方から貴重な御指摘をいただいた
閉校年を昭和51年3月としていたのだが
それ以降も通学していたので閉校年が違うのではとの事
調べてみると北見市教育委員会のHPで
留辺蘂町立金華小学校が昭和52年に閉校し留辺蘂小学校に統合とある

なぜ私が1年間違えてしまったのかというと
この跡地の碑の裏側にしっかりと刻まれた閉校年が
「昭和51年3月」となっていたからである
記念碑を建立したのは留辺蘂町
当時の担当者か記念碑を作成した業者か
いったいだれが間違えたのだろうかという事より
間違えが刻まれたまましっかりと建っているところが不思議である

S様 ありがとうございます









平成21年5月
お世話になっているK・T様のご同行でJR金華駅前の集落へ来てみた
駅前通りに「金華区会館」の古びた建物がある









その建物の側面の窓の配置等を見ると
限りなく小学校の体育館建物を思わせる形である

ここは高台にあった小学校跡地から
国道を挟んで駅側に下りた位置である
他でも廃校舎の一部を移動し再利用するといった
似たような事例を知っているが
もしかするとこの建物だけ移設されたのかもしれない

だとすると非常に貴重な建物なのだろうが
何せこの集落に住む人は少なく
この時も道ばたを歩く人など見てはいない









会館建物の駅側に残る
3棟の崩れかけた廃屋

国道から駅へと続くこの道
会館の手前に確認出来る数棟の建物も廃屋であった





back

inserted by FC2 system