留辺蘂町立恵泉小学校

昭和17年3月25日開校   昭和46年3月31日閉校


平成20年6月訪問



昭和11年 入山者が水銀の大鉱床を発見する
昭和14年 野村鉱業鰍ノよってイトムカ鉱山と名付けられ
開発され東洋一の水銀鉱山となる
昭和48年にはその使命を終え閉山
翌年野村興産鰍ェその技術施設の一切を買収し
国内唯一の水銀含有廃棄物の処理を行う施設とした

ここは石北峠の北見側入り口
現在もその企業が水銀処理を行っている









かつての選鉱場跡地は上記の通り
ご覧の様子で当然立ち入ることは出来ない









入り口の前は大きな広場となっており
そこには「イトムカ鉱山発祥の地」の碑が建っている









碑文にはイトムカ鉱山の歴史が刻まれており
往時はこの場所に350戸の社宅群を中心に
小中学校・病院・各官公署が置かれ「大町」と呼ばれて栄えた
とある

 









屋根の付いた小さな休憩所のような所の内部に
石碑の形状についてとの説明板がある
記念碑の石碑について別途説明があるのは珍しいと思われる









選鉱場は巨大木造建築物だったようで
留辺蘂町が産業史跡として保存し後世へ伝えるとした内容の
少し文字の消えかけた説明板

しかしその史跡を見ることは通常は叶わないのだろう









それらの説明板の奥
処理施設入り口前広場の隅には 古びた石碑が建っていた









恵泉小学校跡
現在国道沿いは林となり
旧選鉱場跡地は立入禁止
学校跡地はこの辺りだったのだろうか
350戸もの住宅があった雰囲気など全く残されていないのだが





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