留萌市立豊平小学校

昭和29年12月1日開校   昭和45年?月?日閉校


平成21年5月訪問



沼田町の恵比島から 留萌市峠下へと抜ける恵比島峠を通ると
いつもこのゲートを横目に眺めていた
ここから続く道道613号線の先には かつて豊平炭鉱があったのだと









冬期間通行止めのそのゲートを初めて抜けてみる
その先にすぐ留萌本線の線路が現れる

JRでのんびりと留萌本線に乗車した時も
この道の奥を想像しながら眺めていた










踏切名は「炭坑道路」 想像が広がってしまう









踏切横にあるリレーボックスにもしっかりと
「炭鉱」の名前が
しかしこちらは炭坑ではない
どちらが正式名なのか判らなかった









踏切を越し奥へ進んで行くと すぐ未舗装の道路に変わり
ご覧の風景が広がる









注意深く辺りを探すも建物は全くない
現在無人地帯のこの豊平
閉山後全てが解体撤去されたようだ









そしてこの空間
ここに豊平小学校があった
かなり入念に辺りを歩いてみたが
残念ながら学校やその施設があった痕跡は全く見つけられなかった









更に奥へと進み炭鉱施設の痕跡を探すも









所々で見受けられる小さな橋に
「豊平」の名前を見つける程度で









林道が通行止めになった様子の場所まで来てしまう

この訪問は
お世話になっている猫爺様の豊平・昭和炭鉱合同探索時のもの
多くのメンバーで炭鉱施設の遺構を探したが
これといったものにお目に掛かれなかった
ここまで完全撤去とはやるものだ

昭和45年発刊の留萌市史にはこうある

開校時は留萌市立峠下小学校豊平分校
昭和34年4月1日豊平小学校として独立

昭和40年の校下 職業別は次の通りである

農  業 戸数 9 人口 48
礦  業 戸数59 人口320
公務員 戸数 4 人口  9

本校の存在は前記職業別によってわかるように
校勢の消長は炭礦の盛衰にかかっているので
安定の一日も早いことを望んでいる
炭礦労働者の多いこの学校の特徴としては
児童の転入転出の多い事である
環境の安定が何よりの希望事項であろう

その豊平炭鉱は昭和45年10月に閉山に追い込まれ
集落の農家も離農し
そして豊平小学校も閉校となったようだ





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