斜里町立富士小学校

大正8年5月12日開校   昭和62年3月31日閉校


平成21年9月訪問



富士地区は大正7年
富士製紙株式会社斜里農場の開設によって開かれた地域
それにより40戸余りの移住者が入り
学齢児童の教育の必要から 富士製紙が校舎建設費を負担
大正8年5月
以久科尋常小学校所属上以久科特別教授場として開校した
斜里町史より

学校跡地に来ると 富士コミュニティセンターの小さな建物が









このコミュニティセンター建物の位置に
木造の美しい校舎が建っていたようだ
奥にある一軒の建物は残された教員住宅だろうか









建てられた年代を推測すると
やはり旧教員住宅のようだ









コミュニティセンターの裏手
一段下がった位置に この広場
校庭跡だろう









道路に戻り その校庭跡の入り口なるものを探すと
校門を確認









しっかりと学校名も残されていた









小学校前の風景
近くに建物が見当たらない

以下斜里町史から
昭和に入ると経済不況や造材事業の後退等を背景に
昭和15年には富士農場も閉鎖
同19年には児童数37人と減少した

戦後は入植者の増加により
児童数も60人となる
昭和24年には中学校も併置され
同26年には富士小中学校と改称された
しかし41年4月に中学校は斜里中学校へ統合されている

その後離農等により人口は減少
児童数も昭和52年には9人になり
以降は4〜5人で推移する状況が続き
隣接する豊里地区と同様に 統廃合の方針が示されたが
過疎化に拍車がかかると反発されるも
結果61年に合意され
昭和62年3月を以て 閉校となる





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