斜里町立岩尾別小中学校

大正8年6月?日開校   昭和42年3月31日閉校


平成21年9月訪問



岩尾別の開拓は大正7年であり
この隔絶された開拓地に入った入植者の子弟ために
大正8年6月 東朱円尋常小学校の所属として
岩尾別特別教授場が創立された
大正9年以来のバッタの発生により
せっかく入植した開拓者達も次第に土地を離れたため
大正11年には教授場も廃止 わずかに残った児童は険しい山坂を越え
遠音別小学校への通学を余儀なくされることとなった
平成16年発行斜里町史より


平成17年に世界遺産に登録された知床の地域
ここ岩尾別もその中にある
写真は斜里町中心側からの岩尾別の入り口
小高い峠の下 谷底の川に沿うように建物が見えている









写真の施設
「岩尾別さけます孵化場」である
河川が改修されたようだが
岩尾別小中学校校舎が川の流れる位置にあった
その校庭跡地に孵化場施設が建設されている

昭和13年に至り訓子府町より36戸が新たに入植し
学童16名は5月から9月までの5ヶ月間寄宿舎を借り
遠音別小学校へ通学させた

しかし低学年児童の寄宿舎生活は困難な要素も大きく
各家庭に戻り寺子屋方式の授業を受けていたが
請願陳情がみのり
遠音別小学校岩尾別分教所の設置が認められた
同じく斜里町史より









峠の下まで降りて学校跡地の入り口からオホーツク海方を望む
現在はこの先に上記の施設しかないため
関係者以外立入禁止









入り口に立つ看板
「岩尾別さけ・ますふ化場」









その先 知床五湖へと向かう道道93号線
最果ての大自然の風景が広がる

岩尾別小中学校跡地は谷底のような位置にあるが
まわりに集落があった様子がない
そこで集落があったと思われる場所を確認しに先へと進む









道路沿いに写真のような廃屋が見えて来る
いったい何だろうか









このような廃屋や牧場の跡らしきもの
ここに岩尾別の集落があったようだ

何故か小中学校跡地はかなり離れたウトロ側
見るに開拓が大変だったと思われるような地だったので
学校の敷地がなかったのだろうか









ご覧の看板も
接近を禁止するのは当然だろうが
餌をあげる人などいるのだろうか
観光客が非常に増えた事で熊を恐ろしく感じない人もいるのかもしれない









牧場跡らしき場所に集う鹿達

以下斜里町史より
昭和13年に訓子府町から国の施策により入植した36戸ではあったが
その後開拓は思うように行かず
昭和41年斜里町は岩尾別に残っていた22戸を集団離農させた

その年度末を以て小中学校も閉校をむかえた





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