斜里町立真鯉小中学校

昭和27年5月?日開校   昭和44年3月31日閉校


平成21年9月訪問



オシンコシンの滝の手前
世界遺産に認定された知床地区
行き交う車が多い中この国道を撮影

どうした事か
この風景右手山裾の 少し平らな空間が
真鯉小学校のあった位置と考え撮影する
しかしこの風景を見ている反対側
現在鹿牧場となっている敷地が 小学校跡地だった









上の写真しか撮影していなかったので 平成22年9月再訪
国道から 本当の真鯉小中学校跡地 敷地内を確認するが
倉庫や住宅建物が 数棟確認できるのだが
学校あった風景を確認することはできない

前回の訪問時
写真奥の住宅建物の前に 「真鯉」 と書かれたバス停があった記憶があるのだが
今回は見落としたのか 確認出来ないでいた









おそらく小中学校跡地は この風景の中にあると思われる
現在は 鹿肉を加工販売する会社の敷地
鹿牧場もある









ちょうどこの辺りが校舎のあった場所かもしれない
現在は鹿が草をはんでいる

以下斜里町史より抜粋
戦後帰農集団の入植によって開拓が進められ
昭和23年には沿岸漁業開発のため
外地から引き揚げ漁民の集団が入地
戸数26戸 229人が定住するに至った
と町史にはあるが
現在上の写真施設以外に 建物なんてあっただろうか

学童数も増えた事から 昭和27年に小学校が開校し
同29年には中学校が開校併置

しかし昭和40年代に入ると 農業は狭隘な土地と不作による追い打ち
漁業も不漁により 零細漁民の生活は益々厳しく
林業関係従事者も 事業所の縮小廃止により仕事が無くなるなど
地域の状況は悪化の傾向を呈し
岩尾別同様 昭和43年より集団移転の計画が検討された

この地域は漁業が大半を占めていたことから
その時点で残っていた漁業者8戸も
ウトロへの移転など自主的な対応が進められ
農家1戸と漁業の1部が残ったのみで
真鯉地区の住民は ほとんどこの地を去り
真鯉小中学校は昭和44年3月を以て閉校となった

わずか17年の校史であった





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