斜里町立来運小学校

大正9年12月1日開校   平成13年3月31日閉校


平成21年9月訪問



斜里町来運
学校跡地に来ると 校門や校舎が現役そのままといった感じで
残されていた









校門の手前に木製のキリン
閉校後に置かれたものだろうか









門柱は大変珍しい形
おそらくは斜里岳が刻まれていると思われる









御利益のありそうな名前である
実はこの小学校の前には 本当に御利益のありそうな
来運神社があるとのこと

思い返してみると
水を汲みに来ていた人達が そこに沢山いたような記憶が
そんな事なら 私も立ち寄らせてもらえば良かった









もう一対の側には校歌が刻まれている
現役時代からこの校門だったのだろうか

裏側を確認し忘れたようだ









その後ろに立つ看板
「来運 水の学校」
現在このようなものとして再利用されている









小規模ではあるが2階建ての校舎
地域としても ふるさと留学生の受け入れなど 児童数増加を図り
懸命な努力を払ってきたが
閉校時の平成12年度は わずか5人の児童数

最大時の昭和33年には92人の児童数であったが
同49年には一桁台の9人まで激減してしまう
この頃 町教育委員会は小規模校の統合計画を進めていたが
地域住民の存続にかける熱意は強く
昭和54年には校舎の改築にこぎつけた
さらにこの年校長住宅 教員住宅4戸も新築され
行政側に廃校を断念させる結果をつくることとなった
斜里町史より









突風に耐えて80年!ありがとう!
来運小学校閉校式13年2月25日
閉校時そのままである

それにしても 凄いメッセージだ
それほど風の強い地域なのか









裏手に教員住宅が見えているが
「水の学校」 の関係者なのだろうか お住まいの方がいるようで近づけない









とりあえず校章の確認
稲穂をデザインしたように見える









再利用されているので校庭も草生してはいない









奥に見えるバックネットは木製の古いものである

建築から22年経った校舎建物であったが
充分に使用に耐え得る状態で 地域住民との協議の結果
自然の中に位置する地域の特色を生かし
旧校舎を 「来運・水の学校」 と命名し
社会学習の場 地域の歴史館として
新たな役割を担い再出発している
斜里町史より抜粋





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