鹿追町立西上幌内小学校

大正10年5月1日開校   昭和42年3月31日閉校


平成19年10月訪問



鹿追町の北約10キロ 新得町との境にある西上幌内地区
辺り一帯は乳牛育生牧場となっている
草原が広がる一本道の左手に大きな牧場施設がある
そこをしばし進むと その先進入禁止となり
右手に牧場従業員の社宅らしき建物が並ぶ

その敷地入り口から振り返り 牧場の施設を見たのがこの風景
写真中央にぽつんと何やら門柱の片側らしきものが見えている









近寄るとそれは門柱であったが
なぜこのような場所にあるのだろう
後ろが道路そして手前には社宅の敷地
なので当時からこの位置にあったとは考えにくい









移設されたのではと思われる崩れかけた門柱には
しっかりと小学校の校名が付いていた

旧版地形図によると 上記牧場施設のあたりに学校があったようだ









その門柱傍らには 「鹿追町名跡地」 なる看板が立っていた









かなり風化しているが
名跡地bX○となっている
鹿追町内にはそんなに名跡地なるものがあるのだろうか









名跡地説明版の支柱には
ご覧のような事が書かれていた


鹿追町史によると
大正2年に牧場主がその敷地を払い下げ
小作人を入植させたことに始まり
十三戸の部落が形成される
そして上幌内小学校の分校として
西上幌内特別教授場が設置された
しかしその後 上幌内小学校の位置変更により本校と合併となってしまう

その後様々な問題を経て
戦後再び開拓地として指定を受けると
再び昭和27年に校舎建築開校となる

この地は標高380bの山麓高丘地帯のため
度々冷害凶作に見舞われ 離農者が相次ぎ
遂には集団離農となって昭和42年閉校となる


そして現在一帯は乳牛育成牧場となっている





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