島牧村立東島牧中学校

昭和22年5月1日開校   平成2年3月31日閉校


平成23年5月訪問



島牧村本目
国道229号線から住宅地へ入りお寺の横を抜けていくと
突き当り ご覧の風景が
「整備林道 栄磯線」とある

その入口にはどう見ても 背は非常に低いが門柱らしきものが一対









そこにはしっかりと
「村立 東島牧中学校」 とある
それにしても何故このように埋まってしまったのだろうか

この中学校の開校までの歴史であるが
昭和22年4月の新学制により旧東島牧村でも中学校の設置となる
当初村内3校(軽臼・本目・歌島)に併置するや否やが議題の中心問題となった
しかし村内一校として 有力な職員を招き
校舎教具を完備することが教育上効果的であるとの意見が有力であったため
本目一校とすることに決定を見た
本目小学校に併置され開校したのが この東島牧中学校であった

しかし開校の22年度一箇年を観察するに
希望は全く裏切られ 有力職員は1名も得られず
設備もまた経済難 資材難で何の設備も整える事が出来なかった
かくて翌年度からは住民の要望に答え 村内3校に併置するに至ったのである

東島牧中学校の開校25周年統合20周年記念誌に
統合の当時の経緯が決して平坦な道でなかったことが記述されている
昭和25年5月に村長に就任した西崎氏は
島牧村としてやらなければならない重要課題の一つとして
教育の振興 老朽校舎の改修及び屋体の新築
そして歌島・本目・軽臼の各小学校に併置されている中学校を統合することだった

これは簡単に解決出来ることではなく
各部落の説得時には集会に呼ばれ鶏鳴暁を告げる時刻に帰宅することも再々であった
しかし信念は間違っていないと一部父兄の反対に屈することは
将来必ず悔を千載に残すであろうと胸に刻んで断行した

こうした厳しい現実を押して建設する独立校舎は
出来るだけ立派に仕上げたいと懸命の努力と慎重な計画を樹てた
現地は相当な傾斜地 村民の絶大な協力を得て本当に感謝の念で一杯だった

建築材は青森県佐井の知辺に懇請 直接海上輸送でヒバ材を購入し
道内ではなかなか見られぬ檜の香も高い校舎が竣工するに至った

4・5年前にPTA会長と村議から「統合をやり遂げて下さったおかげで
今では高等学校進学率も全生徒の学力も管内有数です」
と伺って 本当に過去の苦労も一辺に報いられた想いがしたものでした
と実感のこもった一文を載せている
以上島牧村史より









先ほどの門を抜けると何処かに中学校の校舎があったのだろう
閉校後その入口からまっすぐにこの道路を整備した時
改良により門柱が低くなってしまったのかもしれない

写真は門を抜け林道を真っ直ぐ上って来た
右手に少し開けた空き地があり
そこには「島牧村避難場所」の看板が建っていた









ここはだだの空き地校舎は何処にあったのだろうか
ちなみにこの北側すぐ一段下った平地の部分に本目小学校跡地がある
現在そこには島牧中学校の真新しい校舎が立っている

そこへ続いてはいないが先程の校門を抜けると左手下 林の中に降りていく道があり
おそらくその方向に校舎があったのだろうと
行ったり来たりとうろうろと探してみた 怪しい人に見られたと思われる

しかしコレといった確証を持てる場所も見つからない









この小さな空き地も見渡してみると奥に
何か小さなオブジェのようなものが並んでいるのが見える









生徒の作品であるかのような数点の者たち









その一つには「東中」と刻まれていた
この辺りに中学校の校舎があったことは間違いないのだが
いったいどこだったのだろうと
帰宅後もう一度空中写真をよ〜く見つめていると

なんと
この小さな空き地と思っていた位置
この空間一杯に大きな中学校の校舎が建っていたのだ
この林道がある位置も あの檜の香がした大きな統合校舎建物があった位置なのだ

そして探していた校庭は
一段低い位置に隣接していた本目小学校の校庭を共用していたと思われる

東島牧中学校校歌
潮路はるけき日本海 世々に育てりわがいおり
昔の人のおもかげに いさりの道にいそしまん
ああわれら われらが母校

平成2年3月閉校し
統合島牧中学校が 隣接していた本目小学校の奥の位置に新築開校した





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