白滝村立奥白滝小学校

大正4年1月11日開校   昭和25年10月31日閉校


平成21年5月訪問



平成13年6月を以て廃止となったJR石北本線奥白滝駅
その駅舎は廃止後も残されている
ひっそりとした轍が 国道から建物へと続いている









駅舎は残されてはいるが
入り口は塞がれ 駅名なども当然無い
保線関係者が休憩室としてでも使用しているのだろうか
それにしても貴重な木造駅舎である









ホーム側
石積みのホームがあったのだが廃止後すぐに撤去され
今はレールだけが真っ直ぐに延びている









駅から戻り国道333号線に立つ
右手にかつて駅前だった入り口がある

今 この奥白滝に住む人はいない









駅跡から国道を挟んだ向かい側に何かの石碑が建立されている









奥白滝
開拓記念碑









台座に刻まれるは
「大山火の歌」


過ぐる大正六年の 桜ほころぶ五月頃
白滝襲う大火事に 平和な里も夢破る

猛火頂上のその中で 親は子供の手をとりて
子はオノノキてとりすがり 行くえも知らぬ逃げまどう

ああ恐ろしき大火事は たったタバコの吸い殻や
炊火の跡や悪さより おこるぞ知れや人々よ









裏側には「奥白滝開拓の歩み」と題され
開拓で入植した団体名 戸数やその年月が刻まれ
歴代村長や奥白滝小学校校長の名前も刻まれている

建立は昭和48年である
当時はまだ幾らかの人々が ここに暮らしていたのであろう









駅跡から国道333号線を白滝村中心へと向かう
建物は見当たらない畑の続く道路沿いに何か看板が見える
写真は奥白滝駅方を振り返って









「村立奥白滝小学校跡地」
ここであったか
旧白滝小学校跡地にあるものと同様の看板
このような跡地を示す看板は初めてだ

と言うことはおそらく同時に閉校となった
東白滝小学校跡地にもあるはずである
たまたま旧白滝小学校跡地には集会所もあるため
入り口にそれを示すために判りやすく設置したのか
ぐらいに思っていた









今そこはただ畑が広がっている
閉校から60年も経つのだから仕方のないことだろう

それにしても現在は駅も廃止されたこの人口皆無の奥白滝の地区
開拓後の大正3年には一帯で七十余戸もの住宅があった
それにより開校されたこの学校 大正8年には児童数125名を数える
閉校の昭和25年頃には50名ほどだった

昭和25年10月
村立三和小学校開校のため
東白滝小学校と統合され閉校となった

この訪問時はお世話になっているK・Tさまのご案内によるもの
いつもながら感謝いたします





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