標茶町立萩野小学校
昭和32年1月27日開校 昭和55年3月31日閉校
平成20年5月訪問
標茶町萩野 国道243号線沿いにこの学校跡地はある
この萩野地区は昭和24年に開拓計画が樹立されて入植が始まり
部落が整備されていった
十数名の児童は遠く虹別第一・第二小学校まで
10キロ近くの道程を通学していたため
昭和31年に学校設立期成会が結成され
翌年1月に萩野小学校が開校した
しかしその後の過疎化で児童減少し
わずか23年の歴史を閉じた
現在この地は萩野集会所として利用されている
校舎建物は解体されているが
国道縁に体育館は残されていた
こちら側に校舎は繋がっていたのだろう
体育館建物を見る限りでは
それなりに大きな建物だった印象を受ける
遠くにバックネットが見えているが
かなり広い敷地だったのだろう
集会所建物の位置から校庭跡の間に設置されていた石碑達
萩野地区入植25周年記念碑と同50周年記念碑と
皇太子行啓記念植樹の碑であった