標茶町立久著呂小中学校

大正9年1月7日開校   昭和47年3月31日閉校


平成23年9月訪問



下久著呂小学校跡地を探索後
旧版地形図に「文」記号があるので
おそらく久著呂小学校跡地かと車を止めてみる
ここは道々1052号線 鶴居村との境付近である









道々からの入口
右手のすっかり林と化した場所が学校跡地だろうかと
一応深い木々の中も覗いてはみたが
全くそれらしき雰囲気でもない









とりあえず未舗装の道を進むと おそらく教員住宅と駐輪場?
のようなものが残されていた
学校跡地で間違いはないだろう

実はこの時はこの程度で終了し 跡地を後にしたのだが
ここから少し奥まで未舗装の道は続いており
同行して頂いたK・T様は更なる奥の森の入り口に
朽ちた校門のような残骸を発見していた

帰宅後空中写真で確認すると
本当の学校跡地は奥の森の中のようである









正面の森の中が久著呂小学校の跡地であったのだ
訪問時は単なる草原の中の木々が生えた場所としか認識していなかったのだが
空中写真ではその中にしっかりと校庭や校舎建物の跡までも









翌年 平成24年9月に再訪
学校の校門らしきものがあった辺りに立ち 跡地を眺めてみる
校庭跡地は笹の海 木々も育ち学校があった風景には見えない









これがその校門の残骸と思われるもの
対いになる反対側にも同様のものが確認出来る









昭和52年撮影の空中写真にも最早校舎等は写っていないが
校庭がありその奥に建っていた様子は確認出来る
この辺りは校庭だった場所
全く判らない









とにかく笹ヤブが深すぎる
校舎があったと思われる辺りに基礎は確認出来なかったが
手前辺りに煉瓦の煙突が一つ倒れていた
建物があった証拠を発見

これだから廃校調査は入念に
そして出来る事なら近くの地元の人に 詳細を伺いたいものだ
現実には地元の人も居ないような場所が多いのだが









満足して道々へと繋がるかつての通学路
未舗装の道を戻る途中に少し離れた
旧版地形図では神社の記号がある位置を遠望する

現在鳥居などは確認出来ないが
その場所へと行ってみると









鳥居があったと思われる位置から上の方を見てみた
社があったような位置にそれらしきものが









これは・・・
奉安殿ではないか
おそらくは久著呂小学校にあった奉安殿が
ここに移設され残されていたのだ
また一つ 奉安殿の新発見に感動した二人であった





back

inserted by FC2 system