鹿追町立新然別小学校

大正11年3月15日開校   昭和44年3月31日閉校


平成21年4月訪問



音更町との境近く
大正の時代分村時に学校区が分断され
せっかく部落民が寄付した多額建設費により完成した学校が
音更町側へと行ってしまった

その為当時の代表が河西支庁に出向いて要求し
支庁では何とか改善しようと村長に対し指示した
しかし議会は従来学校は地域の寄付によって建てているので
例外は認めないと否決したという

結局地域の強い要望に応え村長の英断で
大正10年着工し翌年開校となったのである

その学校跡地へと続く道は現在
どことなく寂しさが漂っている









奥へと進むと古びた校門が残っていた









門柱の脇に設置されていた鹿追町名跡地bX4の掲示板









門柱の校名部分を確認すると
「新然別尋常小学校」









片方には「新然別青年学校」
戦前のままの貴重な物だった









校門を抜けると目に入る風景
小学校校舎の一部が残っているようだ









校庭跡を挟んだ正面には
鹿追町の学校跡地に立つ校長住宅がぽつんと残されていた
この地を畑として利用されている方の
休憩場所として使われていたと思われるが
この時は畑自体が使われている様子もなかった









建物は「新然別地区集会所」
隣接するのはおそらく当時の小学校の体育館









集会所へと続く道を守るように頼りないバックネットが
3本の柱にネットが張っているだけである









集会所前から校長宅
本当にぽつんとした風景









神社のある正面の高台に上り撮影してみた
後ろの山並みと相まって美しい風景となっている









体育館は随分と基礎が高いが 本当に小学校からのものかと
考えながら撮影していた

昭和44年 鹿追小学校に統合し閉校
総卒業生484名





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