清水町立上旭小学校

大正8年9月1日開校   昭和53年3月31日閉校


平成19年10月訪問



清水町御影の南方にある旭山小学校から
芽室町上渋山小学校へ繋がる道路沿い
その途中東方へ向かう道に入り更に奥まった位置に学校跡敷地はある


ここを見つけるのに何度も行ったり来たりとしてしまった
学校敷地への入り口から眺めた風景
今も残る小さな木造校舎 何と素敵な景色ではないか









現在ここは「YMCA恵みの里」として第二の人生を送っている









進んで行くと門柱が見えてきた
奥には何棟かの建物があり お住まいの方がいるようである









門柱に残る小学校の校名









木造の小さな校舎がほぼ閉校時のままに残されていた
教室棟があるだけで 体育館は併用されていたらしい

ちなみに
訪問時建物の前で作業中の方がいて
お声を掛けさせていただいた
当方の目的を説明すると 快く敷地に入れていただいたばかりか
校舎内部にも案内していただき様々な説明まで受ける事が出来た

昭和40年の冷害時に札幌のYMCAがピアノ並びに見舞い品を贈呈した
それ以後交流が続き閉校式にも関係者が何名も参加したとのこと

閉校後YMCAがここを交流の施設として利用する変わりに管理人となり
その後町から買い取りの依頼を受け現在は
この地や建物がその方の物となっているとのこと

校舎前に育つ 春には沢山の花を咲かせる桜の木は美しいが
昭和8年築の校舎を管理するのが大変とのこと
閉校後約30年間管理していただいている事で
今でも美しい姿を拝見出来ることに感謝したい









木造体育館によくある支えがこの木造校舎には付けられている
校舎自体にそれがあるのは珍しいと思う
白く縁取られた窓枠も 古き時代の校舎を現していて感動である









こちらにある入り口が旧玄関だったようだ
そしてご覧になるとわかると思うが
建物の玄関側の窓と 隣の窓の内部の枠が違うと思うが
こちら側が古い建物部分でそこから継ぎ足されたとのこと









こちらは奥に残っていた旧教員住宅
現在利用されている様子ではないが
古いブロック造りの建物は味わい深く
別荘にでも購入させていただきたいと思ってしまった









内部に入らせていただいた時に撮影した廊下の風景
閉校後30年間のYMCAのここでの交流の歴史のようなものが
様々な形で掲示されている









こちらはなんと閉校時から貼られている
当時の児童が描いた絵だそうだ









第一教室・・・
30年の時を止めている









教室内部
この教室は移動式の壁で仕切られていたようだが
現在は開放されて広々としていた
そしてこのようにして体育館代わりに使用していたと説明を受ける
体育館建物のない小さな学校はそうしていたのかな
などと想像していた









先ほどの窓枠が違う部分
明らかに奥と手前では壁の古さも違う

清水町史に
昭和24年11月烈風により校舎が大破復旧作業を行う
とあるがおそらく手前側がその昭和24年に復旧された部分なのだろう









こちらは便所 現在でも使用している









便所内部天井の空気抜きの造りは
同様な物が少なくなった今 資料的に貴重なものだろう









廊下の窓越しに見た便所棟
当時のままの木枠の窓と
一段高くなった先ほどの空気抜きの部分









この位置から見ると独特な支えが
体育館のように見える

校舎から出ている肌色の部分が玄関で改修中であった
崩れていたので当時のように作り直しているとの事であった





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