占冠村立下苫鵡小学校ホロカ分校

昭和30年1月20日開校   昭和45年3月31日閉校


平成20年5月訪問



道道136号線
鵡川の支流ホロカトマム川沿いを上流へと向かう









ホロカトマム川から離れこの風景をさらに進む









少しずつその風景は開けて来る









昭和38年占冠村史にはこうある

ホロカトマム川
アイヌ語の本流の逆の方に流れるトマム川は
入り口は断崖の渓間であるが
上流の山ふところは一部落を形成する広さがある
夢の世界 あこがれの世界 世界第三番目の金塊が出たところ
と書いてある本もある
トマム川が左に支流を分岐する地点に
下苫鵡小学校ホロカ分校の円柱が立っている
住宅の裏の流れが一の沢でこの沢の奥が夢の砂金の世界であった









その円柱(門柱)は今も残されていた

さらに村史にはこう続けられている

開校に先立って約二十五年前から二戸の農家があったが
戦後八戸の開拓者が入居した
本校までは悪路六〜八粁余りの通学距離にあたるので
ホロカの住民は
村当局に対し分校設置の要望をしていたのが実現し開校となる

現在全戸数十戸
内九戸は農業で人口五十四名のうちに児童が十名あるが
依然として全戸無電灯の悲しみを残している

鉄道 電灯 道路と文化に浴する日を待ち望みつづけるホロカの児童が
それぞれの力量に応じて進学し就職出来る日はいつか
― 今日も始業の鐘が鳴っていることだろう









その学校があったと思われる沢の付近は
今は牧草地へとすっかり変わっていた









写真中央の木陰に先ほどの門柱が残されている
左手が学校の敷地
現在道道からここまで約4キロ
もちろん建物など全く残っていないが
この地は占冠中央の牧場主が牧草地として利用している
その方に木陰の門柱が
約40年前に廃校となったホロカ分校の校門であると伺った

ちなみに
その方がこの地を譲っていただいた数十年前は
この写真の辺りに最後の住人がいて
その方はこの学校跡地の更に奥にお住まいであったのが
部落が離農し学校も閉校された後
少し手前のこの辺りに越して来たとの事である

訪れた者としては
この地に住まう方がいた事など
今となっては想像に難しい





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