占冠村立下苫鵡小中学校

大正4年4月?日開校   昭和52年3月31日閉校


平成20年5月訪問



占冠村中心地から東方 20キロ近くはあるだろうか
トマムリゾートへと繋がる道道136号線沿いの風景
右手に建設中の道東自動車道
左手が下苫鵡小学校の跡地である

しかし
本当の跡地はこの道路部分と思われ
当時は右手建設中道東道の向こう側に旧道が走っていたと思われる
いつの時期になのか
道路が改良による付け替えで
かつての校舎があった辺りを貫いている









わずかに残された跡地の入り口には
占冠村営バスの「トマム3線停留所」が設置されていた
ここから山側奥に牧場が一軒あるようだが
それ以外に居住する方はいるのだろうか
行き交う車の交通量は多いが
ここに来るまで住宅らしものは一軒もなかった
少し手前の
郵便局等があったかつての下苫鵡の中心だった場所も
工事業者がいただけで集落が消えていた









高速道路の建設資材が置かれているのだろうか
校庭跡の一部だった部分には残土?が積まれ
ご覧の資材も置かれている

そしてその奥には
旧教員住宅らしき建物が見えるではないか









この雰囲気は正しく教員住宅ではなかろうか
現在お住まいの方はいない









こちらもそうだろうか
いずれにしても現在お住まいの方はいらっしゃらないようである









さらに並んで建っていた住宅
閉校年に撮影された航空写真で確認すると
上の写真とこの建物はどうやら閉校後に建てられたようである
村営住宅だったのだろうか









閉校の碑か!









と住宅群の向かい側にある石碑らしものに近づくと

山に老いて
悔いはなかりき
夕あかね

幸一

詩であった









吾れ下トマムを愛す
平成五年六月
幸一

幸一さん この地にお住まいの方だったのだろうか
それにしても何故このような立派な石碑を残したのだろうか
謎である 幸一さん

と思い昭和38年発行占冠村史をよく見ると
どうやら下苫鵡小学校校歌を作詞された方のようだ
その方は「日本詩」という雑誌に 
北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎等と共に毎月寄稿した
とある

隅々まで村史を読んでいないので分からないが
この地出身の方なのだろうか

下苫鵡小学校校歌

鵡川の清いせせらぎを
ききつつ学ぶ吾々の
瞳は希望に燃えるのだ
ああ吾等がかざす校訓は
明るく やさしく つつましく





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